閑話休題

前のエントリー見たら、「ウンコ製造機」の話のあとに、カレーの写真が投稿されていた。

流行り病の問題じゃないんだ。

日本人特有の、規律(と自分が思い込んでいるもの)から外れた者に対する執拗なまでの不寛容

そしてその不寛容を何よりも恐れ、自らを封じ込める

お前はどうなんだと聞かれれば、こう答える

「そんなんじゃねえ。俺はその役割を演じているだけだ」



ときどき、自分じゃない自分を背中に置いとかないと、いかんな。

閑話休題(10) 言いたいことは多々あれど、人生とはわからないものです…

小籔さん起用の「人生会議」ポスター、批判受け発送中止
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191126-00000052-asahi-soci

どちらかといえば仕事ブログの方に書くネタだったりしますが、
そういう話でもないので、こちらで。

そもそも人間、生まれた瞬間に余命80数年を宣告されているようなものなのですから、
物心ついた瞬間から頭の中で「人生会議」していなければいけないのでしょう。

おそらく、そうやって生きられれば、人生の時間を少しも無駄にせずに
「1秒も無駄にしない生き方」などもできるのでしょう。

しかしながら、人間動いていればいつかは疲れますし、
起きて活動していればある時間を過ぎると眠くなります。

正直、自分は宵っ張りの朝寝坊タイプなので、
おそらく今の仕事がなくなれば
とりあえず夕方まで布団にいて、皆が夕飯を食べるくらいの時間にのそのそ起き出して
夜が明ける頃にまた布団に潜り込み…という廃人生活になること請け合いです。

その意味で、朝目覚まし時計が鳴り出して、さあ仕事だと気合を入れた瞬間
朝、決まった時間に自宅を出なければいけないという状況に置かれていることが
とても有り難いと現状に感謝をしつつ、自宅を出ます。
ありていに言うと「仕事に生かされている」状態です。

自分を鼓舞し、意識してなければ常にボーッとする傾向にあり、
このままずっと何もせずにいられたらなあなどと考えることもあります。

「それも自分なのだ」

そう認めてしまわなければ、とても苦しくなります。

頑張らなければいけない時もありますが、
きちんとやることさえちゃんとできているなら
緊張の糸を解くこと無く頑張り続けることが唯一無二の正義であるが如き考えから脱却し、
きちんと自分を休ませることはとても大切と最近は切に思います。

自分の人生は、その先にゆっくり考えればよいのです。
それでこその「人生会議」なのだと思います。

 

閑話休題(9) 岡田斗司夫氏のコメントの行間を読む

「まつたけのブログ」より「悪口を言われないためにはどうしたらいいのか?」


この問いに対する岡田斗司夫氏の答えがとても明確です。

ただ、これ行間を読めということなのでしょうね…

(以下引用)




そう気付いてから、私は悪口を言われるのもOKになりました。

誰かの繋がりの役に立ってるなら、私がガマンすればいいじゃないか、と。




さて、もしあなたが今の生き方を貫き通したら、私と同じ未来が待ってますよ。

それ、イヤでしょ?(笑)

 

楽しい高校生活に参加するなら、彼らの仲間に入るべきです。





(引用ここまで)

おそらく、彼が本当に言いたかったことは
「それ、イヤでしょ?(笑)」と「楽しい高校生活に~」のくだりの間にあるのではないかと、私は思うのです。

「それ、イヤでしょ?」

でも、私はそういう人生を生きていて、すごくオモシロイ。
そういう人生、悪くないよ!
だけど、世の中そういう風に生きれる人ばかりじゃないし…
それを高校の時分で気づける人なんてそうそういない。
だから、今はまだ気づかなくていい。
そのうち、そういう人生もアリと気づけばいい。
それまでは…

「楽しい高校生活に…」

とつながるのかなあと。

それをあえて書かずに考えさせるためにこのコメントをしたのなら、

岡田斗司夫氏という人間を、私は心の底から尊敬する。



いろいろな軋轢、しがらみの中で
「コッチ側の人間」でいることはすごく難しいし、
ストレスフルなことも多いけれど、
楽しいですよ。

だから、「コッチ側においで」
私は味方だよ。

そう言って挙げられる大人物に
なりたいものですねぇ~

閑話休題(8) 温泉街の憂鬱

これはこれまでの文章とはちょっと違うのですが、まだ就職する前に書いた文章をどうぞ。
それ以前に書いた文章は、この「温泉街の憂鬱」も含めてこちらにアップしているのですが、内容的に今は考え方がちょっと違うなとか、新たに発表するのが照れくさいものもあるので改めてこちらに残すことはしません。

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 温泉、といえば卓球! といっているようではまだまだ甘い。
 そう! 温泉といえば何と言っても古いゲームでしょう。

 99年2月のことであった。晴れて大学卒業が決定し少し時間ができたので、友人(♂)と二人で群馬県の水上温泉へ行くこととなった。当然、山の上であるから雪があった。自分の車の雪道性能も確かめたいと思っていたところだったので、雪の多い方が良かった。
 温泉浴場は、友人が知っていたので探すのは楽だった。ふつうの温泉宿だが、我々のような日帰り客も受け入れてくれたのでありがたい。そこで風呂に入り、休憩室で一服でもしようかと思ったそのとき、私の目に入ったのは往年の大ヒットゲーム『ゼビウス』ではないか!
 その横を見ると、『パックランド』『ギャプラス』も置いてあった。私は狂喜乱舞し、しばしノスタルジーに浸りながら楽しんだ。
 温泉に置いてある古いゲームは、レバーの反応が悪い。筐体も中の基盤もかなり使い回されているのだろう。でも、ゲームそのものはちゃんと動くし、とても楽しませてもらった。

 温泉旅館。そこは時が止まった、といって語弊があるなら、時の流れが今と平行して10~20年程遅れている世界だ。とても平成の世にいるとは思えない雰囲気がそこにはある。大村昆の出ているオロナミンCの看板、昔懐かしいRoyalcrown Colaの看板、大原麗子の出ているボンカレーの看板、今ではテレビで見かけなくなったが昔活躍していた歌手のディナーショー、おそらくは一昔前の卓球ブーム(今のではない!)の時に買ったと思われる卓球台、そして雪印の瓶牛乳、コーヒー牛乳、そしてカツゲンの小瓶・・・宴会場に行けば、8トラックのカラオケ、そして私が生まれる前に流行したのであろう曲の歌詞カード。
 設備が最新でも、古く見えてしまうから不思議なのである。

 「その役割を終えた」として「引退」するもの、8ビットパソコン、ゲーム、機械、列車、船、動物・・・・・そして、人。
 だが、まだ使える、そう思ったとき、そのものの価値を考えてみれば、なんのなんのまだまだ使いでがあるではないか、などと感じてしまうのである。古くなったパソコンでしかできないゲームがある。機械だって下取りに出せば欲しがる人だってたくさんいる。列車なら改造して店でも始めるか・・・、さんざっぱら走りまくって疲れ切った名馬たちも今、この北海道に何頭もいる。そうやって競馬ファンの心を和ませているではないか。もちろん種牡馬としての役目だって忘れてはいけない。

 私も、いずれその存在としては古いものになるであろう。しかし、そんな取り残された「想い」を忘れずに生きていければとても幸せに生きられるであろう。古いことは悪いことだけではないのだ。

 そんなことを考えていると、テレビから懐かしいメロディがいくつも流れてきた。歌こそ、いつまでも残らなければならないものだろう。そして人々の心の中に残ることを運命づけられているものだ。 
 その番組の名は「20世紀カウントダウントップ10」というものだったが、上位にいたのはここ6~7年の曲ばかりだった。単純にレコードの売れ行きからだけ判断するとこうなる。今の曲の方が枚数が売れているのは、日本人(子供たち、と言い換えても良い)が金持ちになったこと、それと歌謡曲の価値が軽薄になったことを考えれば当たり前だ。
 30年後に人々の耳の中に残っているのは果たしてどちらか? 戦う前から答えは明らかだ。

決して今の歌謡曲に心に残る曲がない、と言っているわけではない。数自体はそんなに変わらないであろう。ただ、今テレビで取り上げられている曲の殆どは、いずれ忘れ去られる運命にあるだろうといっているのだ。要は比率の問題だ。

 結局私は、いつまでもその価値が変わらず、心に残り続けるものをこれまでの人生の中で探し続けてきたのかもしれない。そしておそらくはこれからも・・・ なぜならそこに人生の、そして人間の真実があるからだ。

 温泉街。そこは外界とは時の流れを異にする空間である。

2000年9月23日 記

閑話休題(7) 国道、道道に拘る!

 学生時代、インターネットで自分のHPが作れることを知ってから、いつか「究極に趣味的なHP」を作ってやる、そしてその中には、国道や道道を端から端までただ走る楽しみを書いてやる、とそう考えていた。今回たった3日の冬休みの一部を、地元周辺の道道制覇に費やしているうちになにやらそんなことを思い出した。
 3歳の頃からずっと、住宅地図や道路地図を眺めるのが何よりも好きで、国道の標識を見るたびに、この道路はここからここまで走っているのか、この国道、道道はこんな不自然なルーティングなのかと、地図上でトレースするのが楽しかったし、いつかはこの道路を自分の足で踏破してみたいと、そう思うのは決して不自然なことではなかった。

 だが、もちろん子供時代の私にそんなことができるわけがない。この先はどうなっているのだろうと思いを馳せつつ、週末になっては釧路市内の実家から、白糠、厚岸町尾幌、鶴居、阿寒、標茶、釧路町昆布森など、片道2時間くらいで行ける距離(大体片道40kmくらい)を自転車で行っては引き返していた。
 道道ログとり企画を始めたのはこのHPを立ち上げてしばらく経ってからであるが、道道走破を始めたのは実はそのずっと前、中学生時代にさかのぼる。当時の実家から歩いても行ける道道釧路港線、道道釧路停車場線、自転車道である道道釧路阿寒自転車道線を除いては、中学校2年生の時に走破した旧道道144号(現243号)阿寒標茶線が一番最初。釧路から国道240号を通って阿寒町へ。そこから道道に入り、鶴居村まで抜け、一旦コースを外れ鶴居市街地へ。実は最初はそこで引き返す予定であったが、道道の一路線を完走できるかも…つい魔が差してそのまま再び阿寒標茶線のトレース中断地点まで南下してから標茶まで抜けることにした。今思えばそれが間違いの始まりで、その日の所持金はなんと100円。鶴居村でのどが渇いたのでジュースを買ってそれで使い果たしてしまった。その後はもうひたすら口渇、そして阿寒標茶町境に待っていた数キロに及ぶ急勾配を伴ったダートとの戦い…。で、その日の夕方、命からがらで標茶町に到達。さすがに絶えきれず、近くの喫茶店に入り、水を一杯恵んでもらう。これだ!これを待ってたんだ!!そこからは積み重なる疲労に耐えながらも何とか国道391号線を南下し、実家まで到着したのは午後10時。走行距離数なんと100km!
 実はその翌日も何も知らない友人を「温泉に行こう!」と誘って当時の道道284号(現53号)釧路鶴居弟子屈線を完全トレースして、川湯温泉の公衆浴場に入ってそのまま国道391号線から釧路市に帰るルートでまた自転車ツアー。前日の反省もあってお金はたっぷり持って行ったので、体力的にも困ることはなかったが、朝5時出発、夜10時帰着、総走行距離約200km、風呂と食事以外休憩なしという行程に、さすがに同行の友人はしんどかったらしく、翌日風邪をひいてダウン、学校を欠席してしまった。平気な顔で翌日も学校に行った私はその知らせを聞き、ちょっとだけ罪の意識…。

 そんな私も大学2年の時、運転免許を取得。翌年には先輩から車を譲ってもらうことになる。もうどんなことになるかは自明の理。
 そして現在、日本国内の国道、道内全ての道道を端から端まで自分の力でトレースするという夢は、学生時代の一桁国道全走破、青森-西都間高速道路一気完走、そしてHPの道道走破企画、都市高速走破企画を経て、私の中でずっと続いている…

閑話休題(6) 無題

 今日は突然に、「露出症」のネタ…そう、世に言う「変態クン」に分類される「露出症」の話です。ある本を読んでいて、13~14歳の少女の目の前で「男性自身」を露出する男は、その少女とセックスしたい訳ではなく、キャーッという反応を見たいだけ。という趣旨の記述があり、なるほどなと…。ただ、その後の記述が、自分のモノに極度の不安を抱えている…この不安を解消する方法はそれを誰かに見せること。少女たちは金切り声を上げて、こちらのすばらしい男らしさを裏付けて…
 う~む若き日の自分を思い出す…というか、決して私が若い娘さんの前で露出していた訳ではありませんよ!念のため…

 いやいや、中学校くらいの頃ですかねぇ…当時所属していた部活(吹奏楽部)の部室の物陰に電気を消して潜んで、女子部員が入ってきたところに突然カタカタと物音を鳴らしてびっくりさせるといういたずらをしていたんですが、何となくそんなことを思い出してしまったのでした。普段すましている女の子たちが突然の恐怖に我を忘れる、そして普段見せない表情を見せる…それを見るのが楽しみだったという…もちろん、自分の「モノ」に不安を感じていたわけではなくて(しつこい!)、当時は(これに限っては今でもですが)女の子にもてるなんてことは私にとっては絶対あり得ないことでして、思春期の男としては一種のコンプレックスを持っていたわけです。それをこういう歪んだ方法で解消していたんだなあと、今考えてそう思うのです。その後当然、捕まるようなこともせず、それなりに真っ当な人生を歩んでこれたのですが…私もかなり卑しい部類に入る人間なもんで、その後もいろんなコンプレックスに悩まされてきたことは確かです。背が低いとか、運動があまり得手でないとか、顔が云々…それがもし、歪んだ形で蓄積され、そして発散されたとしたら…いや考えるだけでそら恐ろしい…、自分が怖い…。

 そんな中で私が身をもって感じたのは、コンプレックスは人を餓鬼道に落とすということ…。世の中全くコンプレックスを感じずに生きられる人はごく少数なわけで、いろんな反応に出る人がそらいますわな…その鬱積した負のエネルギーが自分に向かって炸裂すれば鬱状態やヒッキーになるわけだし、他人に向かえば「いじめ」や「暴力」になるわけだし、そんなこんなで考えると、子供も大人も大して変わらないですよね…。人生の落とし穴なんてどこにでもある…誰にだって(むろん、私にだって)そういう行動に出る種やきっかけはいくらでもあるわけです。
 ただ、ここが大人の大人たる所以。そういう行動に出そうな、道を外れそうな自分自身を冷静に見つめることが出来る、ということが大事なのであって、また世の中の大勢はそうであるはずです。でなければ、世の中みんな鬱になったり、暴力社会になったり、集団で一人をいじめたり、逃避行動に走ったり…それは大変。裏を返すと今の子供社会って、単に抑制の外れた大人社会そのものだって気がしませんか?

 自分の無意識の行動がなにかおかしいと感じたら…その時は是非、自分の深層心理と対峙してみることをおすすめします。「なぜそうしようと思ったのか…」「どんなときにそう思ったのか…」「なぜ彼(彼女)が憎らしいのか…」「自分のどこが嫌なのか…それはどうして…?」…じっくり突き詰めて考えると、もう一つの自分が見えてきますよ。そしてそれは、自分をまた一つ、高みに持って行くための大事なヒントになるはずです!きっと…

・参考文献「眠れないほどおもしろい雑学の本」(三笠書房、J・アカンバーク著・野中浩一訳)

2004年11月29日 記

閑話休題(5) 冬道ドライブの魅力

 どこかで書いたと思いますが、私のドライブは基本的に場所、条件を選びません。冬道ドライブもダート、オフロードと並んで私の楽しみのひとつです。
 しかし、冬道ドライブを本当に楽しむためにはそれなりの技術も必要です。
 ここから先はあくまで私の経験と独断、偏見に基づく意見ですが、もしよければ参考にしていただけると幸いです。

・安全な冬道ドライブに向けて!

1,夏場からしっかり準備をしておくこと

 大事なのは車や同乗者に無理をかけないエンジンブレーキの使い方。エンブレだけで一瞬にして例え100km/hからでも(あくまでたとえ話です!)20km/hまで一瞬にして、同乗者を酔わせることなく(これが重要!)滑らかに減速できること。それと、カーブの曲がり方。しっかりとグリップを自分の五感で確認しながら、やはり同乗者を酔わせず、減速加速の加減をしっかり覚えておくこと。しっかり重心移動が出来ていればたとえアイスバーンのつるつる路面でも絶対に滑らせない走りができます。できれば、オートマのドライバーもことあるごとにマニュアルを運転してそういう感覚を覚えておくべきでしょう。余談ですが、私は「自動…」というものを殆ど信頼していないので、道内の冬道を4駆マニュアル以外の車で走ることは自殺行為だとすら思っています。なぜなら、冬道で最も危ない減速の瞬間を制御しているのがドライバーの感覚ではないからです。それでも最近はオートマでも安全に曲がれるという声もありますが…どうも私はそこらへんの考え方が古いのか、やはり不安は拭えません。

2,スタッドレスタイヤの横方向のグリップ力は究極に弱いことを自覚すること

 最近のスタッドレスは本当に性能が良くて、前後方向には殆ど夏の道に匹敵してしまう程のグリップ力が発揮される場合もあります。…が、横方向には実に簡単に滑ります。ただ単にスピードを落とすだけではカーブを安全に曲がることはできません。曲がり方と車の重心バランスの取り方を間違えれば20km/hでも簡単に滑り出します。大事なのは減速加速のタイミングとその加減です。北海道土着のドライバーは実にこれが巧い。これは夏場から同乗者を酔わせず車の足回りに無理をかけない曲がり方を練習するしかないでしょう。コツとしてはカーブ手前からエンブレで減速を始め、カーブに入った次の瞬間まで減速をして車の向きをハンドルではなくスピード調整で調節すること。車は減速中にはオーバーステア気味、加速中にはアンダーステア気味になります。それをうまく利用してやることです。そしてカーブ途中から滑らかに減速から加速に切り替えていく…このときアクセルは軽く押してやるくらいの感覚で…決して踏み込んではいけません。この加減を間違うと車は尻を振りだして曲線方向に向かってスピンし始めるので注意。この指標は同乗者の上体の動きです。同乗者が首を前に後ろに左右に大きく振っているようでは失格です。そういう曲がり方では当然同乗者は酔ってしまいますし、足回りにも無理がかかります。是非この曲がり方はマスターしてください。

3,「急」のつく動作を…

 しない…というのは誰もが言っていることです。しかし「急」のつく動作を絶対にしなくてもいい運転、というのをなかなかアドバイスしてくれる人はいません。するな、だけでは片手落ちです。横から出てくる車はそのまま出てくるのか、それとも止まってくれるのかを予知してハンドルやスピード調整でかわすとか、場合によっては信号無視や一時停止無視をしてくる可能性まで考えて次に自分がなすべき行動を考える。最初から「急」のつく動作を回避するということを常に考え続けていなければなりません。

4,決してエンジンを高回転にしない

 私の場合はフォレスターXTで2500~3000rpm以上に回さないことを常に心がけています(もちろんエンジンブレーキ時を除いてですが)。早め早めのギアチェンジを心がける。オートマではこういう自由が利かないので、雪道の運転が不利と考える一つの理由です。

 と、以上に気をつけていて、今のところ冬道では致命的に滑らせたことは初心者時代に1~2度を除いては一度もありません。もっとも、これが今後も滑らせない根拠にはならないので、気を緩めずに慎重に運転する。これが一番大切なのでしょう。以上のセオリーを守れば雪道を滑らせずに運転することがそのうちとても楽しく感じられるはずです。カーブが来るごとに「このカーブを人生最後のカーブにしないぞ」という気合いを持ち続けてください。どうかみなさんが安全に冬道の運転をされることを切に希望します。ほんとうは雪道、アイスバーンの運転はとても楽しいもののはずですから!

2004年1月 記

閑話休題(4) 旅路にて…

 とっても慌ただしい旅だった。略しちゃいけない学校名を巡るというアホみたいな目的の旅(註・小名浜の第二中学校と、女川の第二中学校をめぐり、校門で写真を撮るためだけの旅。もう若気の至りとしか…汗)もこれから帰路に入る。その行程中、夢について考える時間があったのでそれについて述べる。  この夢のことは今まで照れ臭くて誰にも話せなかった…いや正確に言うと一部のみは本当に親しい友人には話したことはあるけど全部を話した人間は誰もいない。

 今は65歳定年と言われるが、私はそこまで働くつもりは実は毛頭ない。むしろもっと早くリタイアすることを考えている。で、まずリタイアしたら全国の国道と道内の全ての道道を時間とお金をふんだんに使ってうまいもの食べまくりながら自車でゆっくりゆっくり走り回る。いや今も走り回ってはいるんだけど、やっぱり本質的には自己都合で休みなど絶対にとれない仕事だから、すべて細切れ。船でしか行けない離島など夢のまた夢の話。国道58号一気完走とか(註・その後2006年に実現することとなる…)

 それが終わったら倹しく暮らすのかと…そんなわけがない。余ったお金の全てを注ぎ込んでいつもジャズが大音量で流れ、漫画が何万冊もあって、世代間交流も出来る、そんな憩いの場を作る。で名前は「ジャズ&漫画喫茶 光子力研究所」といきたいがそれはさすがに版権の関係で無理だろうから、せいぜい「スイート・ベイジル」か「ブルーノート」くらいにしとくか(笑)…で、防音設備も完備して地元のジャズ愛好家たちと月1回セッションをやる。

 いやそうなるとこれから大変…当然今の仕事をおろそかにすることは絶対にできないし、楽器の演奏の腕も今以下には落とせない…漫画も巷のヲタクたちにひけをとらない知識を得るためにもっと勉強せねば!もちろんお金も貯めなきゃ!まだまだ足りない、全てに足りない!

 なんてこんなことばかり考えているものだから、その時点で結婚、マイホーム、子育てなんて普通の幸せは望むべくもない。大体が自分で稼いだお金は一代限りと思っているから、子供に鐚一文遺そうと考えていない。ただ、夢といくばくかの資料なら遺せるかもしれない。今は父親不在の世の中と言われているから、夢を失いつつある世の中でそういう父親たちの役割の一部なら担えるかなと…ただ実際に家庭に入ったら多分私は減点パパだろうから駄目だろうな、きっと。

 まだまだ勉強しなきゃいかんこと山積、それになにより自分自身が強く夢を見続けていなくてはこの話は成り立たない。何を夢のような話をという向きも当然あると思う。そりゃ当たり前だ、夢なんだから。ただ一歩ずつ着実に近づければいいなと、そう思ってこの異文化交流HPを運営しています。これからも何卒、よろしくですm(__)m

 子供に夢を与え、大人には勇気と安らぎを与え、全ての人たちの癒しとなる、このHPのみならず私の人生の最終目標でもあります。

♪夢がかなうとき それは今日かもしれない 信じていていいんだからね
  (林原めぐみ「Bon Voyage !」より)

(2003/12/21 11:00 仙石線上り車内にて) 

閑話休題(3)~電話でんわデンワ

そういえば、このころ、プライベートでドコモとJ-phoneプリペイド携帯の二台持ちの時代があったんだなあ…。今、取り出したらまだ動くかな…???

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♪鍵の数だけ不幸を抱いているって 誰かが言ってたね
  (さだまさし『普通の人々』より)

 ネット上ですから、私の家の鍵の数は言えませんが、電話の数なら今携帯も含めると計4つあります。通常回線の電話(ISDN接続)、病院の内線電話(爆)、プライベート用携帯と、病院の緊急連絡用携帯。中には結構似通った音を出すものもあるし、朝の目覚ましに似たような音を使用している場合もあるので、結構まぎらわしいこともあります。これだ!と思って出てみても実は別な電話だったとか…(笑)

 実は携帯でメールを始めるようになったのは去年の7月。それまでもそうだったんですが、実は私電話を電話として使用することが極端に少ない…通常回線の電話なんぞ、月に1~2回の実家からの電話と、あと不動産屋からの勧誘電話(いっとくけど私も一応給与所得者。開業医といっしょにしてもらっちゃ困るし、節税しなきゃいかん程給料はもらってないっつーの!夜となく昼となくかかってくる電話にはいかに人格温厚(?)が売り物の私とて…あまりしつこいとこの場に会社の実名上げるぞ!ほんっとに…)。携帯の着歴なんて9月のが未だに残っているし、病院携帯も病院にいないときは必ず他の医者が当直しているから、実際に使われるのは月に1~2回程度。あ、そのほかに間違い電話とワン切りがくるか(苦笑)…
 ちなみに私の携帯電話は仕事用プライベート用ともにDoCoMo。プライベート用では結構遊ばせてもらってます。

 携帯といえば、J-phoneの携帯にはポーリング機能というのがあるそうですね。J同士なら、相手に特定のメールを打つと現在位置が帰って来るという機能だそうです。私はそれを聞いて真っ先に「浮気防止のための機能?」と思ってしまったのですが、それはいかにも一般人的な解釈らしく、ちとほっとしてます。これを利用して道仲間たちは現在位置を教えあったりしているそうです。なるほど確かに使えますな…
 最近ではGPS受信機能付き携帯というのも出たそうな…もう電話じゃないですね。「携帯」というひとつの独立した機械ですね。
 自分の子供が心配なので小学生から携帯電話を持たせる親も結構多いとか…
 いやいや、人間って逞しいですね。ほんとに…
 しかし、携帯でのコミュニケーションは一歩間違えれば大変な誤解を生むこともあります。文明の利器が言葉の凶器に知らず知らずになっていくこともある…私も含めて重々気をつけなければ… 携帯に限ったことではないんですけどね。
 文明の利器=いいものとは限らない…このHPの隠されたテーマのひとつでもあります。

2003年11月30日 記

閑話休題(2)~プレイルームにて

過去の投稿…
せっかくなので、本サイトの過去記事倉庫に保管してあるのですが、ピックアップしてみることにします。

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 私の仕事場の中で一番いる時間が長いのは、内科第1診察室!
 そこを出て、向かって左側に、子供用のプレイルームがあります。
 たまたま午後の外来がとても空いていたのでそこをのぞきに行くと、2歳のお子さんが、外来の看護婦さんと一緒に遊んでいました。

 私もついついひかれて、中に入っていきました。こう、何というか、不思議なもので、私などは正直言って子供好きでは決してないのですが、それでも子供の前に出ると表情がゆるむんですねぇ。その後30分くらい、その2歳になったばかりのお子さんと、プレイルームにおいてあったおもちゃを使って遊んだりしてたのですが…

 なんだかなあ…日々の生活の中で、いつのまにか忘れてしまった笑顔…いやいや独りでいる時、あるいはふと緊張の糸が切れた時とか、は私はかなり疲れているように見えるらしく、偶然会った人や、とても親しい間柄の人からは、「怒ってる?」とか、「なんか嫌なことあった?」とか、「疲れてる?」とか、よく聞かれるのです。
 いやいや、そういう訳じゃなくってね。やっぱりちょっと考え事をしていたりすると、ふと黙り込んでしまうこともあるんです。口から生まれたといわれるくらいおしゃべりなこの私でも…

 よく、男は40過ぎたら自分の顔に責任を持てと言われますが、私はまだ30歳の一個手前。でも、基本的にはこの仕事、接客業の一面もありますので、なるべく仕事中は笑顔を絶やさぬよう、実は人知れず努力してます。ただ、なかなか難しいですよね。不自然じゃない笑顔を「造る」ことって…
 でも、そのお子さんのおかげで、久しぶりに「造らない」笑顔を思い出させてもらった。人生にとってとっても大事なことを、私は2歳の子供に教えてもらったんです。
 「我以外皆師」とはよく言いますが、私にとっては2歳の子供であろうが、100歳のお年寄りであろうが、きっと立派な人生の先生です。医者なんて、「先生」と呼ばれるけど、仕事以外のことでは、むしろ患者さんの方が先生。いろんな人からたくさんのことを学ぶ必要が、まだまだありそうです。
 学歴、学識…大事だけど、もっと基礎にあるものがちゃんとしてなければ、とても薄っぺら、何の役にも立たない。それは、たかだか4年間社会人やってるだけでも、嫌というほど思い知らされる。
 今からでも遅くはない。まだ、やりなおせる。そんなことを、2歳のお子さんに教えてもらって、私はまたパワーアップできます。本当にありがとう。そして、これからも、よろしくお願いしますね!

2003年7月15日 記

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