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田舎と都会の地域間格差について(今更ながら阿部幸大氏の文章を読んでの感想)

本当にお久しぶりになってしまいました。

さて、
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

という文章がいろいろな反響を読んでいます。

この文章が発表されてからずいぶん時間が経ってしまいましたが、

この文章を書いた阿部氏と同じ釧路出身者で、家の事情と地理的事情で進学を諦めかけたけれど
多くの幸運と複数の偶然に恵まれ高等教育を受ける機会が与えられた者として、
そして、釧路・根室が抱える潜在的な文化的隔絶性・他地域との格差の問題を
ずっと憂えてきて、今の進路を選んだのもそれが大きな理由の一つであった者としては、
さすがにコメントしなければいけないと感じて、今回の文章を書くことになりました。

長文になりますので結論を先に書きます。

この出鱈目な文脈と稚拙な例えを用いた文章のせいで、
本来きちんと議論されなければならない釧路根室の文化的閉鎖性や格差の問題が
歪んだ理解をされてしまうこと、
あまつさえ、
そんな格差は存在しないことにされてしまったり、
(札幌や東京から見た)遠隔地在住者の進学なんて今の社会では自己責任であり個人の問題、
という論を惹起してしまうことを強く危惧する。

これが結論です。

釧路・根室地方(以降、「釧根地域」とします)が、
そこで育ってきた子供の力だけでは取り返すことの難しい地域間格差を抱えていることは事実であり、
阿部氏の持つ問題意識はとてもよく理解できます。

それだけに、同じ釧路出身者の同業者である方から
http://tonishi0610.blogspot.jp/2018/04/blog-post.html
のような自己責任論が出てきたことは大変残念でなりません。

例えどんな境遇をたどってきた者であろうと、
格差に関して「勝ち組の論理」で語ってはならないのです。

私はタバコを辞めてもう9年近くになりますが、
禁煙成功者がタバコをやめられないニコチン依存症者を笑ったり蔑んだりしてはならないのと同じです。
(ニコチン依存症は個人の意志の問題ではないことは既に広く言われていることです)

そしてこのような論を出させてしまった原因の一つは、
阿部氏の文章における不適切な表現と稚拙な例えによって、
他ならぬ彼自身の主張の信憑性をわざわざ弱めてしまったことにあります

阿部氏の文章の話の前に、私自身の話をします。

私は現在医師として、14年の臨床経験の後、行政の場で勤務している身ですが、
ここに至るまでの道程は、本当に幸運と度重なる偶然に恵まれたとしか言えません。
そこらへんは阿部氏の書かれていた境遇にちょっと似ているとも言えます。

もともと私は家の経済状態から、
「大学に行くなら釧路市内にして欲しい。札幌や東京に下宿させてやれる金はうちにはない」と言われていました。
しかし、釧路市内には北海道教育大学釧路分校と、
当時まだできたばかりの釧路公立大学という経済学部の単科大学しか
釧路にはありませんでした。
私はバリバリの理系人間だったので、学校の先生になる気も、経済学を極める気もさらさらありませんでした。

いまだからお話しますが、本当に大学にどこでも行けたならという仮定での第一志望は東京工業大学でした。
東工大でロボットなどの研究をされていた森政弘先生が書いた
(当時既に退官されていたはずですがそこらへんの事情は知りませんでした。
 阿部氏の言う「情報弱者」ですね(笑))
「非まじめのすすめ」という本を読んで
このような人が研究活動をしているような大学に是非行きたい、と考えていました。

しかし当然そんなものは夢物語でしかなく、
高校3年生になった私は、北海道職員初級と国家公務員III種(税務)の就職の両方の内定ももらいつつ、
仮に合格できれば現実的な志望になりうる「気象大学校」の受験準備をしていました。
まあ、気象大学校はそもそも受かるとはカケラも思っていなかったので、
受験のために大手を振って札幌一人旅ができるなとしか思っていませんでした。

ちょっと余談になりますが、釧路・根室の地理的特殊性を示すエピソードとして…。

この「札幌一人旅」というのもすごく貴重でした。
なぜなら、私は中学校の修学旅行で初めて札幌に行くまで、
日高山脈を越えたことがなかったのです。
釧路以外の都市は、親戚の暮らしていた北見以外は、行ったことすらありませんでした。

今でこそ高速が阿寒インターまで通りましたが、当時は釧路~札幌間に寝台急行「まりも」が運行しており、
釧路・根室民にとっては自県庁(道庁)所在地である札幌は、泊りがけで行くのが当たり前の場所だったのです。
そして、高速道路網が延びた今でも根室管内住民にとっては札幌は泊りがけでないと行けない場所です。

日本国内に、沖縄と離島を除いて、自県庁に行くのに泊りがけなんて、
そんな土地はそうそうないでしょう。
それだけ、札幌に行くということは特別なことであり、
私自身も、その後大学受験までの間、
吹奏楽コンクールの全道大会出場2回と、第2級アマチュア無線技士の試験の
3回しか札幌には行ってないのです。

なお、釧路・根室在住の高齢者の中には、
札幌なんて一生に数回しか行ったことがないという人もゴロゴロいます。
自県庁が遠くにあるだけでなく、そもそも地域から出る事自体に
見えない障壁がある土地なのです。

話を戻します。
高校3年生の9月頃の話。
私の通った高校(阿部氏と同じ高校です)には、「進路指導室」という小さな資料部屋があり、
その資料のほとんどは「進路」ではなく「進学」資料だったので、
私には縁のないところだと思って寄り付きもしなかったのですが、

たまたま、部活も引退して暇していて、
たまたま、どんなところか興味があって冷やかし半分で入ってみて、
たまたま、ある資料棚を開けて、
たまたま、「自治医科大学」という変わった名前の大学のパンフを目にし、
たまたま、高校1年生の頃に学校指定の参考書で自治医大の入試問題を
 「この解き方ができればプロ級」と書かれていた方法で解くことができたので、その大学名を覚えていて、
どんな大学なんだろうとちょっとばかり気になっていて、
たまたま、そのパンフを開いて中身を確認してみたら、
授業料が全額貸与され、全寮制で寮費もすごく安くて、
9年間の義務年限を果たせば貸与金の返済は全額免除という、
そして、さだまさしさんの「風に立つライオン」を良く聴いていた私にとって、
地元北海道のどこか医療に困っている田舎で勤務をしつつ地域のために役に立てるという、
私にとっては夢みたいな話がそこにありました。

そもそも医者になろうなんて考えはこれっぽっちもなかったですし、
自分が高等教育を受けることは全く諦めていたのですが、
そんな私には頭をかち割られるような話でした。

たまたま、高3の9月という微妙な時期に自治医大の存在を知り、
そして受験資料を取り寄せ、赤本をこれも
たまたま、釧路の書店にあったものを購入し、
仮に合格したら授業料は「タダ」だと家族を説き伏せ、
ダメモトで受験、
たまたま、合格してしまい、今があります。

実は母は、同じ高校の卒業生で、成績も良く教師からは進学を勧められており
看護学校に進学したいと希望したにもかかわらず、家族の反対で就職したという経歴の持ち主で、
医学部に合格して医者になるということを、自分が医療職になれなかったからと大層喜んでくれました。

これだけの「たまたま」がなければ私の「いま」はなかったわけです。
まあ、それでも幸せな人生だったのではないかとは思いますし、
実は高卒で就職しても、「放送大学」や、お金を貯めて自力で進学することを考えていたのですが、
そうかと言って、幸運と偶然に恵まれた者が、
そこまでの努力を誰しもに要求して自己責任論をぶちかますのはさすがにあんまりだと思います。

だって、実家の経済事情が同じであっても、もし実家が札幌や東京にあったなら、
私はそれほど苦労せず進学できたのは間違いないですから。
でもそれは子供の力だけではどうにもならない現実ですし、
ましてちゃんと進学できた人間が「自己責任論」を語るのは「勝ち組のおごり」にしか私には思えません。

さて、阿部氏は年齢的には私より13歳若いはずで、その13年で釧路地域はずいぶん衰退しましたし、
なにより中心街にあった多くのデパートや商業施設がことごとく消滅し、
今では彼の言う「ジャスコ(イオン)しかない」状況になってしまいました。

しかし、そのような状況ゆえに地元で職にあぶれる者も続出し、
学歴だけでなく、職を求める若者もまた釧路から流出していきました。
このこと一つとっても、情報の地域間格差は過去から現在にかけては
間違いなく縮まっていると言って良いでしょう。

ただ、私が時々言っている「釧路・根室は同じ北海道でも別世界」という意味の
一端は理解いただけたと思います。

さて、ここからが「いちいちの反論」です。
格差はあるけど、そこじゃないだろ…って話です。
そんな出鱈目を言っては、これまでの話がぶち壊しでしょう…と、そういう話です。

>書店には本も揃っていない

そんなことはないです。今はコーチャンフォーがあるし、
その昔は釧路の中心部に「山下書店」という本屋があって比較的今の基準から考えても本は揃っていたし、
超レアもののはずの自治医大の赤本すらそこで手に入りました。

ただし、医学書などといった専門書レベルでの格差は確かにあります。
釧路のコーチャンフォーで驚いたのは、医科大学のある街でないにもかかわらず
医師向けの医学書がそれなりに揃っていたところ。
しかし、さすがに都会の専門書も扱う大規模書店には及びません。
それは認めざるを得ないのですが、
釧路の特殊例として取り上げるのは不適切です。
もっともっと田舎であれば「まともな書店がない」という状況も実はあります。
でもさすがに札幌までは行かなくとも、必要があれば釧路・根室圏の人は釧路までは来るでしょう。

>わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、
>余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、
>中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。

釧路人はスマホを持っていて普通にググっているし
(高齢者でそれができない人はいるが、それは地域間格差の問題ではない)、
立派な図書館と本屋があります。

ネットリテラシーの問題については、
たしかに阿部氏の中学・高校時代にはネット環境の地域間格差は存在していました。
ADSLの整備が遅れている地域では常時接続ができず、
ISDNやダイヤルアップ接続といった遅い環境にもかかわらず、
高い電話料金を払わされ、
当時田舎の街でホームページを作成していた私にとっては大変な問題でした。
でも、今はその問題は地域間格差から世代間格差の問題に変わりつつあります。
今、中高生の親に当たる30~40代の人間でインターネットの使い方を知らないとなれば、
それは地域の問題ではなく別の問題と思います。

映画に関しては今の釧路にはイオンシネマしかないが、
過去には釧路東映とかスガイとか、日劇なんてのも含めて昔の方がむしろ選択肢はあった。
そして、札幌以外の多くの道内都市が似たような状況。
また、釧路人はさすがに中卒が大卒より普通とは思っていません。
大卒も普通にいます。

ただし、気がかりなところはあって、
釧路・根室の企業は「地元の高卒者の就職先を確保するために、あえて大卒を排除している」という噂は
耳にしたことがあります。
これが事実なら、阿部氏の危惧を裏打ちするものではあります。
「事実なら」…ですが。

>文化資本の格差は「気づくことさえできない」という点で深刻

これは確かにその通りで、大学や大学生というものが日常そこにある環境と、道東の環境は確かに違います。
でもさすがに「大学」って……どこにあるんですか?とはなりません。
一応私の通った高校は進学校に分類される学校であり、
就職も含めた「進路指導」がほとんどやってないに等しい状況で、
進学を考えていなかった人間としての私は大いに憤慨したけれど、
「進学指導」(というか「受験指導」)はちゃんとやっていたはずです。
だからこそ、「たまたま」進路指導室に興味本位で入り込んで「自治医大の受験案内」なんて
レア物を見つけることができたのでしょうし。

>「底辺」と形容される中学。

釧路の公立中学は学区制のはずです。
かりに「底辺」と形容される中学があるなら、それは地域間格差の問題ではなく、
「地域内の地区間格差」という地域間格差以上の大きな問題が存在することを示しており、
地元の教育を語る上ではそっちの方が憂慮すべき事態です。
少なくとも私の時代には学校間格差は、教育大の付属中学以外は聞いたことがありません。
私と阿部氏の年齢差である13年の間に状況が一変したのでしょうか?

さて、これらの状況は、釧路だとまあそんなことないでしょで笑い話で済まされるものもあります。
しかし、根室レベルやそれ以下の規模の道東の街だと、けっこう現実味を帯びてくる話でもあります。
阿部氏は、ことさらに自分の故郷をdisるのではなく、
そちらの既に顕在化している問題をきちんと文章にすればよかったのです。
実際、根室振興局管内の教育業界では学力問題がとても深刻に受け止められていて、
地域の社会問題ともなっているのです。

これまで挙げた荒唐無稽とも言える状況は、実は根室や中標津、あるいはそれよりさらに小さい街では
現実にみられる状況でもあるのです。
一部の教育者はそれをしっかり認識して、全力を挙げて改善に取り組んでいますし、
油断すると文化的に隔絶されてしまう街だからこそ、
それを認識して文化を渇望して、きちんとそれを行動に移す人達を私は根室で多く見てきました。

釧根地域の釧路以外の街は、本当にそういう他所からは考えられないような状況や苦労をしており、
そのような中、あまりにデフォルメの過ぎる表現や、
全く違う原因による問題まで無理やり地域間格差の問題にこじつけるむちゃくちゃの文脈のせいで、
地域間格差の存在する現実そのものを隠してしまい、
あまつさえ進学できなかった者の自己責任論まで惹起してしまうような稚拙な文章が、
釧路出身であって、元根室・中標津在住者でもある私には許せなかったというのが
今回、このようなエントリーを起こした理由です。

一方で、

>「せめて県内の大学へ」

これは、我が実家のパターン。経済的問題に地理的問題がプラスされており、
大いに問題にすべきだと今でも思っています。

>塾や予備校の不在

これに関しては、自分は予備校・学習塾といった公的教育以外の教育は一切受けたことがないので内情はわからず、
コメントする立場にありません。(学校が用意した民間の模試は受けていたけどそれは含めない)
しかしながら、確かに代ゼミやZ会、駿台予備校といった大手予備校の手は延びておらず、
浪人生は軒並み、予備校のある札幌などに流出していたのは確かですね。
さすがに釧路で浪人生活を送っていても何も得るものがないのは事実ですし。

>「女性は大学・都会になど行くべきでない」という根強い価値観
>都会に出ようとする若者への激しい嫉妬と物理的・精神的妨害

性差別的価値観、嫉妬・妨害は釧路・根室で特別のものではないと思いますが、
実際にはこれらは「田舎」で一般化するとありうるものです
(中島みゆきさんの「ファイト」の歌詞まんまですね)

>受験の負担、単身で都会へ引っ越す精神的負担、相談できる大人の不在

これは確かにありました。札幌や本州で受験するたびに
地元受験では起こりえないホテル代や交通費の負担があるのは不公平だと子供ながらに思っていました。
(私はこれらの費用を全て自分のバイトマネーで賄っていたのでなおさらです)

>「田舎にも〜がある」という事実は、それが都会に「ある」という事実とは、
>まったく比べ物にならない、ということを強調しておきたいと思う。

それは確かに大きいです。
求めずして近くにそれがある状況と、積極的に多大な努力を払って求めなければならない状況は
明らかに違うものです。
大人はともかく、子供に関しては決して自己責任論で片付けてはならないものと思います。

さて、この文章には多くの批判が寄せられ、
続編
大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505

が、アップされました。

しかしながら、この内容も、地域間格差の問題を強調すべきところなのに、
何故か地域内格差の問題にすり替えて話をしているために、論旨を全然補強できてなかったり、
外国の情報を集めるよりも田舎者が都会の情報を集める方が難しいなどと
わけのわからないことを言い出したり、元の内容よりひどい文章になってしまっています。

さて、長くなったのでそろそろ締めます。

>同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、
>都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている

これは本当にそのとおりで、間違いなく過去の私に当てはまっていましたし、
そういう人もいるのは事実ではあります。
しかしながら、ここまでの文章でことさらに誇張した表現や稚拙な例えを用いてしまったがために
却って読んだ者に現実味を失わせている、非常に残念な文章になってしまいました。

>反対意見は「こんな田舎なんてないでしょ」という消極的な否認と、
>「田舎はそんなんじゃない」という積極的な怒りとに分かれ

とありますが、
私はそのどちらでもないし、反対意見も持ち合わせていません。
むしろ釧路根室に代表される、内部からも外部からも認識されにくい地域間格差は
きちんと問題として認識されるべきと思っています。

しかし、この阿部氏の文章では、
本来きちんと理解されるべき釧路根室に存在する地域間格差の問題が
歪んだ理解をされてしまったり、下手するとなかったことにされてしまうことを危惧します。

要は、大事な問題をでたらめな文脈と稚拙な例えで語るなと言いたいだけでした。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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コメント

興味深く拝読しました。
私が阿部氏の記事について問題だと思っているのは、阿部氏がそもそも地域格差の記事を書いた理由が、東大生は金持ちと言われ、経済格差ばかりが語られるけれど、深刻な地域格差もあるのだ、ということらしいからです。
しかし、実際は、阿部氏は地域格差を語るだけの経験も知識もないようです。
釧路市の中心部で18年すごし、その後、東京に移住して12年すごしたようですが、釧路のことも東京のことも自分の狭い経験でしか見えていないと感じます。
(私自身は首都圏出身ですが、阿部氏が釧路に住んだ18年間が、ちょうど、私が頻繁に釧路を訪れた時期で、釧路市中心部だけでなく、音別町という過疎地もよく知っています。)
一方、阿部氏は実家がかなりの金持ちのようで、高校卒業後、家族と東京に移住し、浪人して東大に入ったようで、経歴を見ると二浪しているらしいので、首都圏の人間からしても金持ちだなあと思ってしまうのです。
つまり、経済的に有利であれば、地域格差を乗り越えられるということで、それを隠して、しかも地域格差については少年時代に狭い経験しかなく、東京についても筑波大付属駒場みたいな、東京の人にもほとんど縁のないエリート校の例を持ってくるとか、支離滅裂です。
結局、阿部氏は、東京で金持ちの家に生まれたら筑波大付属駒場のエリートになれたのになあ、と言っているとしか思えないのです。経済的に恵まれなかった私から見ると、これが非常に腹立たしいです。
実は私は阿部氏と同じ東大大学院英文科の出身ですが、貧しい私がここに入れたのは、まさに、主様と同じ幸運と偶然の賜物だったということを申し添えておきます。

>匿名 様

ありがとうございます。
私もまた、自分と自分の周囲の狭い経験しか見えていません。
阿部氏にはそれなりに裕福な家庭の立場から、
私や匿名様にはそうでない立場から、
地域格差が見えていたはずなのです。

ただ、「『大学』って……どこにあるんですか。」というのは阿部氏のご家庭での実話と記載されていましたので、
それを事実というふうに考えますと、
阿部氏のご家庭で起こったことは進学という選択肢を知る機会の問題、
私の家庭で起こったのは、自宅の経済状況で地元を出ての進学ができないという具体的な壁、と
起こっている事象は「地域間格差による進学困難」であっても、その理由は全く違うわけです。

なので、こういった地域間格差が、田舎に住む親世代の無教養に起因していると言われても、
それは本当に地域間格差のせいなのか?という話になりますし、
私自身の話もまた、偶然にも家庭の経済状態が地元の大学を目指すくらいは許されるけど
それ以上は不可という微妙なところだったということもあって、やはり「地域間格差ガー」と
一般化できるものではありません。

「結局、阿部氏は、東京で金持ちの家に生まれたら筑波大付属駒場のエリートになれたのになあ、と言っている」
とは私も読んで思いましたが、腹立たしい気持ちには、私はなりませんでした。
「金持ちには金持ちの(貧乏人にはわからない)事情があるんだなあ」と感じたのみです。
立場の違いとはそういうもんだと思います。

ただ、都会と田舎の格差は厳然として存在しますし、
「それとは別に」北海道の釧路根室地方特有の事情も存在しますし、
更には釧路市(+釧路町)と、それ以外の釧根地方の市町村との差異も厳然として存在します。

御本人「釧路」「田舎」「私」と書き分けたとのことですが、
だとしたらそもそも書き分けるより違う文脈、違う文章で書くべきでした。
読み返してみても、それらの違う要素を混同している文章という印象は拭えませんでした。
そこを別の問題として書き分けられれば、
無理な誇張をすることなくより実情が伝わる文章が書けたはずなのです。

もともと以前から釧根地方の抱える問題を憂慮していた私にとっては、
そこは混同させない文章を書いてほしかった、というのが正直なところです。

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