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2018年5月

続・地域間格差と地域内格差論

前エントリー で、地域間格差論についてのブログ記載からいろいろ考えましたし、
ブログにもコメントをいただいて、そのやりとりの中で
少し頭の整理がついた気がします。

結局、件のブログ筆者は
「中学校に『底辺校』が存在する」とか、「自分の親が進学について知識を持たなかった」
「自分の周囲の人間の知的レベル、文化レベル」という、
それはそれで深刻かつ改善を要するであろう地域「内」格差を、

本屋や美術館が少ないとか、身近に大学や大学生を見ることがないとかいったことに関連付け、
無理やり地域「間」格差の問題に帰結しようとしたところが
文脈をおかしくして、書いていることに矛盾やこじつけを生じてしまった理由なのだろうと
思います。

冷静にそこを切り分けることができれば、
おそらく双方の問題それぞれに解決というか緩和への道筋ができるのかなと思いました。

物理的距離の問題、立地の問題、人口希薄地帯であることに起因する主要施設集約化の問題など、
確かに厳然と存在しますし、何度でもいいますが「釧路・根室は同じ北海道でも別世界」です。
ただ、そのような地域単独ではどうにもならない問題をどうにかしようとしてもこれは始まりませんし、
それならば、その環境の中で厳然と存在する進学への障壁や文化的隔絶性をどうするか、
考えていかなければならないというのが、釧路・根室に生まれ育った者の「業」みたいなものなのでしょう。

とはいえ、それに気づいている人は多くいますし、
そういう方々が声を上げ、地道に文化的活動をやっているのもまた事実で、
そこは比較的楽観的に私は考えています。

ただ、札幌や東京の方々には、
全道・全国一律の基準でいろいろやられると、
ちょっと困ってしまう地域もあるのだということ、
多少政策的に特別扱いしてもらわないと、
札幌・東京人と同じスタートラインに立つことの
難しい地域は実在するのだということは知ってほしいと思い前エントリーから続く
長文・駄文をアップした次第です。

一応、この話はこれで区切りとしたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

田舎と都会の地域間格差について(今更ながら阿部幸大氏の文章を読んでの感想)

本当にお久しぶりになってしまいました。

さて、
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

という文章がいろいろな反響を読んでいます。

この文章が発表されてからずいぶん時間が経ってしまいましたが、

この文章を書いた阿部氏と同じ釧路出身者で、家の事情と地理的事情で進学を諦めかけたけれど
多くの幸運と複数の偶然に恵まれ高等教育を受ける機会が与えられた者として、
そして、釧路・根室が抱える潜在的な文化的隔絶性・他地域との格差の問題を
ずっと憂えてきて、今の進路を選んだのもそれが大きな理由の一つであった者としては、
さすがにコメントしなければいけないと感じて、今回の文章を書くことになりました。

長文になりますので結論を先に書きます。

この出鱈目な文脈と稚拙な例えを用いた文章のせいで、
本来きちんと議論されなければならない釧路根室の文化的閉鎖性や格差の問題が
歪んだ理解をされてしまうこと、
あまつさえ、
そんな格差は存在しないことにされてしまったり、
(札幌や東京から見た)遠隔地在住者の進学なんて今の社会では自己責任であり個人の問題、
という論を惹起してしまうことを強く危惧する。

これが結論です。

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