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起こってほしくないことは、考えない。(仕事ブログとのマルチポストですm(__)m)

震災に伴う、原発事故で「想定の範囲外」という言葉が頻繁に使われています。


我々医療従事者も、いろんな場面を「想定」してそれに対応できるように訓練を受けるか、自己研鑽をしている(私も、一応そのつもりです)。


ただし、「想定」は出来ても、本当にそんな場面が来たら「お手上げ」という場面も存在します。


たとえば、医師2~3人、看護師20人前後の小さな田舎の町に一つしかない病院、後方病院まで50km以上離れているといった状況で、周囲に開業医も1~2軒しか存在しない状況で、近くで大型トラックとバスの正面衝突が起こって、心肺停止が5人、とか、意識不明の重体が10人とか、同時に発生したとします。

さて、どうしましょう…。


これらは以前、仕事系ブログで書いた、

こちら

にも、そういう記載がありますが、そういう事態は確かに「想定」はできます。しかし、現実的に対応は無理です。これらはむしろ「災害医療」の範疇に入りますし、そうなると地方の小病院でできることはせいぜいが、トリアージをつけて、ショックなど緊急を要する患者さんに順繰りに対応、後方病院に搬送の手はずをつけて、「黒タグ」と「緑タグ」は基本無視…、と言った対応しかできません。そもそも「赤タグ」が10人もいたら、例えその場にいる全員を集めて、自宅にいる職員にも一斉召集をかけたとしてもいっぺんに対応など絶対にできません。


その次、あるいは同時に行う対応としては、日没前なら全道各地のドクターヘリの基地病院に援護を依頼したり、場合によっては自衛隊にも出動をお願いすることにもなりそうです。こうなると、一病院だけの判断ではどうにもならず、首長や行政にも緊急対応をしてもらわなければなりません。


そして、もっと重要なことは、そのような大規模災害が起こることを前提に医療機関を整備すると、医療従事者も財源も”いくらあっても足りない”という状況と、平時における”給料泥棒”的な状況が同時に起こりえます。

なので、「想定」はできても「予防」も「対応」は不可能…という状況もありうるわけです。

大体、

地球に直径400kmの巨大隕石が落下したら、人類は滅亡する、

と言われていますが、そんなこと言ったって、現在の人類の知恵では防ぎようも対応のしようもありません。

それを議論しても、詮無いことです。

なので、「予防」も「対応」も全く不可能な事象に対しては、その可能性さえ示されている限りは、ある程度の免責もやむを得ないのかな…と思っています。(その意味で、生命保険の免責事項は実によくできていると思います。ただし、今回の東電に関しては「予防」可能性と「対応」可能性という面で免責に異論が出ているわけですが…)


話を戻します。

原発事故の場合は、結果に対する「対応」の可能不可能や是非はともかくとして、大津波だけではなく原発そのものがのみこまれてしまうような災害や、日本がなにがしかの戦争に巻き込まれた時に原発が標的にされる可能性だって、言わないだけで、あったはずなのです。そういう意味では、原発に限らず全ての面において「万全」はありえない、これが悲しいかな現実です。

我々の携わる医療だって同じです。人の体には何が起こるかわかりませんが、急性期医療における最悪のoutcomeは、通常は「患者死亡」と「重篤な後遺障害」です(そうでない場合もあるのですが、ここは一般常識として考えてください)。

しかし、現実には「予測できない」病棟での突然死だってあります。胃潰瘍の治療のために入院していた人が心筋梗塞で突然死したり、若くて歩行も安定している定期通院の外来患者さんが病院の玄関先で転倒して頭を打って亡くなるとか、「可能性が限りなく低く見積もられている」だけであって「想定していない」わけではありません。だからこそ、院内「コードブルー」と言って病院を挙げて緊急時の蘇生のために人手を集める体制を構築している病院も多いわけです。「予測できない」患者の突然死を「想定できない」病院など、病院としての体をなしていないと言われても反論できません。


ここが大事なのですが、日本人のメンタリティとして、

「起こってほしくないことは、言わない、考えない」

といった特性があるようです。(井沢元彦氏などは「言霊」と呼んでいますが…)


すごく身も蓋もない言い方をしてしまえば、「全人類滅亡」という結果を含めてしまえば基本的には「想定外」という言葉は使えなくなります。

ただし、「対応可能かどうか?」、「予防可能かどうか?」の2点の選択肢は残されています。

そこを検討せずに「想定外」という言葉を使ってしまうと…

「想定したとしても、可能性が低い(低く見積もっている)上にまず即時の対応なんて思いつかないし、ま、そんときゃそんときだ」

と言っているようにしか聞こえなくなってしまいます。

医療従事者である私は、

仕事現場でそういう価値判断をあえて避けるような輩(とくに管理職)が基本的に(臨床医としては)苦手

です。(もちろん仕事を離れれば話は別…そういう人に限って人間的にはいい人、多いんですよね…。)

「予防」も「対応」もできないなら、「できません!」と明言した上で、じゃあできないからどうしようか…という方向に話をもっていって一緒に考えてくれるようなトップとなら、喜んで仕事ができますし、将来私が何かのトップになるようなときは(それこそ可能性希薄ですがw)、そういう管理職でありたいなと、そう考えております。


この「予防可能性」と「対応可能性」を検討した上で、先ほどの隕石のような、どう考えたって対応不可能なことは、考えてもしょうがないですが、誤解を恐れずに言えば、大津波や戦争やテロ程度のことは、建前上「軍備」のない日本で現実的に対応可能かどうかはともかくとしても、対応可能性くらいは検討しておいてほしいなと…

どういう可能性か具体的に言えば炎上を招きかねないのでやめておきますが、それだって日本人のメンタリティなのだという自覚くらいは欲しいものです。

そう考えると、私自身は脱化石エネルギー論者なのですが、今の日本人には原子力発電はまだ早かったのかな…と今は思っています。正直、今回の国家的な対応で学習した次第でお恥ずかしい限りです。


もちろん、長年にわたって培われてきた国民性なのですぐに変わろうと思ってもそうはいかないのですが、まずはそういう部分を「自覚」することから始めてみるのがよいのかなと、そう思っています。あとは、「教育」の問題も大きいですね。

多くの国民が、ボトムアップでそういう風に考えるようにならなければ、日本の危機管理はいつまで経ってもこの体たらくを晒し続けることになるのでしょう…。

官僚や、政治家だけのせいにしては、いけません。

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コメント

ほんとほんと。
今私も市の防災計画に口出しさせてもらえることになっていろいろ考えてるのですが、ここまでは対応できるけど、これ以上は無理!という線引きをちゃんとやろうよ、と話をしています。

>Hcinmannパパ様

コメありがとうございます。
まさにそこと思います。
自治体単体での対応が不可能、とまず結論をつけることが終わりなのではなく、
それが始まりであるはずだと、そう考えています。

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