高齢者医療・介護・福祉問題

自立支援は誰のため?

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私が日頃勉強させていただいているコミュニティでイベントをするとのことです。
驚くべき要介護認定率の低さを誇り、これまで多くの要介護者を「卒業」させ、
要介護者の自立支援をリードしてきた「和光市モデル」に関連した
問題提起や議論になるようです。
この業界では超有名な和光市の東内部長さんが出席されるとのことで、
是非話を聞きたいところです。

私自身はすごく行きたいと思っていて、
当日体は空いていて前後札幌にいるので、
特典航空券を使えば日帰りも可能なのですが、
ちょっといろいろあって、日程が合うかどうか調整が必要で、
行けるかどうかわかりません。
ただ、自立支援をいろんな視点から見直すことは
大いに勉強になると思いますので、よろしければ、まだ若干の空きはあるようですので。

公衆衛生上の研究成果を個人や特定・不特定の集団を攻撃するネタに使用してはならない。

みなさんご無沙汰しております。

ここ1ヶ月位、いろいろ忙しかったりしました。

何に忙しかったかというと、試験勉強、それから、公衆衛生協会の事業の仕事、
そして、ちょっとした趣味です。

あと、災害対応もありました。

こちらは、保健分野では大掛かりな災害対応は
少なくともうちの管内では不要でしたが、

十勝や南富良野などでは、支援が必要な状況であったようです。

道内の道路網寸断状況もまだまだ続いています。

一日も早い復旧を願っております。

え?試験勉強?なんの?

総合内科専門医のです。
一応、今後何らかの理由で臨床に戻る可能性もなきにしもあらずなので、
専門医制度への制度移行によって、とりやすくなっている今しかないなと。

結果…ですか?

いや、その…

受験すら出来ませんでした。
なにしろ、試験日に「第2非常配備」が発令されていたので…

まあ、しょうがありません。
試験に来年があっても、自然災害対応に来年はありませんから。


さて、本題に移ります。

某フリーアナウンサーの透析に関する発言がいろいろ物議を醸しています。

今回、このブログでその発言を責め立てるつもりはありません。

ただ、そのような発言をさせてしまった背景には、
我々医療従事者の不用意な発言があったのでは…とも思うのです。

糖尿病は早期から厳格な治療を行えば、
合併症の発現率が下がる、これはもう周知の事実です。

ただ、早期を過ぎて治療をすると、
無理に厳格な治療をすると却って逆効果になる場合もある
なんてことも知られるようになりました。

また、低血糖と虚血性心疾患の関係なんかも言われるようになり、
ただ厳格な治療をして、検査数値を下げればいいのではないということも
だんだん知られるようになっていきました。

我々医療従事者が、個々の患者さんに「我慢」を強いるには
それ相応のエビデンスが必要になります。

それぞれの患者さんが大事にしているものだってあります。
いかに「我慢をさせないか」ということを
考えながら仕事をしている臨床医がほとんどと思います。

そんな中ですが、
私もついつい臨床現場では
「あなたのような人が大勢いて、保険財政を圧迫しているのです!」
なんてきついことも言ったことも、正直ありました。

「あんな奴(ら)に医療なんか必要ない」とついつい心で思ってしまい、
反省しきり、自己嫌悪になってしまい、自分の医師としての適性を考え直す
なんてこともしょっちゅうでした。

でも、これは少なくとも表立って発言しちゃいけないことなんだと反省するとともに、
そういった発言を衆人環視のネット上で行うことは厳に慎まなければならないと、
公衆衛生を専門とする者として、戒めなければならないと、あの記事を見て感じました。

たいてい、臨床での研究の成果というのは、
ある集団と対照集団を比較して、
ある事象が起こる確率や、特定の検査数値に違いがあるかどうかを判定することによって
もたらされます。

そして、心ある臨床家たちは、
その結果を個人に適用するのに、細心の注意を払います。

EBM(Evidence Based Medicine)といいますが、
たんに、文献を批判的に読んで、批判に耐えうる内容であれば
そのまま目の前の患者さんに適用してよいというのとは違います。

むしろ、そういった文献や研究成果を
目の前の患者さんにどう適応するか、ということを考えるのが
EBMであります。

我々公衆衛生に携わる者にとっても、
データを駆使して、集団を健康に導くことが
大きなミッションの一つであります。

その中で、私が今「絶対にやってはならないこと」として戒めているのが、

公衆衛生上の研究成果を、ある特定・不特定の集団や個人を攻撃するネタに使ってはならない。

ということです。

こんど、出身大学の後輩が地域保健を学びに、私の勤務先に来る予定ですが、
なによりこのことを教えようと思っています。

たとえば2型糖尿病の患者さんだって、
同じ食生活を送っていて、糖尿病になる人もいれば、透析になる人・ならない人もいて、
あるいはまったく問題なく人生を全うする人もいます。

ここらへんは、専門家たちが日々分子生物学的研究を続けている、まさにトピックなところです。

ある集団と対照を比較して、生活習慣に有意差があったからと言って、
それを理由に集団を叩く、というほど医学研究は単純なものではありません。

むしろ、

個々の身体のもつ要素があまりに多く複雑すぎるので
集団同士の比較によってしか医学的知見を得られない

というのが正直なところです。

私も、そのフリーアナウンサーの発言には強い憤りを覚えた一人ではありますが、
そのアナウンサーの発言を責めるより先に、
そういった発言や差別を助長するようなことを
我々医療従事者がやっていないか、
大いに猛省すべき、ということを考えさせてくれた記事と、私は思いました。

介護予防と待機児童問題と人口ピラミッド

最近すっかり更新をさぼっていました。

さて、介護予防のモデルケースとして有名なのが、
埼玉県和光市。

この和光市に関して書かれた本を読む機会がありました。

要介護認定率は10%程度であり、(全国平均が約18%)
介護保険料も全国レベルでは安いと言われています。

この市では、一度要介護や要支援になっても
介護予防サービスや、計画的なケアマネージメントで
介護保険を「卒業」させるのだそうです。

「卒業」のあとも、放置するのではなく、
再び要介護状態に戻らないように、きちんとフォローするのが売りとも書かれていました。

一方で、そういった活動を始めた当初には、なかなか
介護保険を「卒業」することの理解が得られず、そういう場合には
市職員が同行して、根気強く介護保険の理念について、
納得が得られるまで話をしたのだそうです。

実際、例えば介護保険法第4条第1項
「国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、
加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、
要介護状態となった場合においても、
進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、
その有する能力の維持向上に努めるものとする。」
となっています。

ただ、今では市職員が同行するまでしなければならない状況は
ほとんどないのだそうです。

ここで、あれ?と思い、確認したのが次です。

http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001011229/6

ああ、やっぱり…。
ちなみに、高齢者と生産年齢人口の比率は1:4.0だそうです。

対比してみるとわかりやすいと思うので、
「便所の落書き」発言で区議さんが一躍有名になった、
あの区の人口ピラミッドが、こちら。
(そういえば、過去にこの区では保育園設立反対運動が起きてたようですね…)

http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001013115/6

ちなみに、高齢者と生産年齢人口の比率は1:2.5だそうです。

もちろん、こんな背景があってのあの発言かはわかりませんが、
ここで和光市と同じようなことをやったら、
次の選挙で首長さんの首が飛ぶか、あるいは、それを待たずに
介護保険の担当部署の部長や課長の首が飛ぶであろうことが容易に想像できます。

そういえば…とここからは悪乗りですが、
財政再建団体になってしまったあの市や、
「医師いじめ」疑惑で有名になってしまったあの村は…
http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001001209/6
http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001005327/6

さもありなんですね。

ここまで露骨に出るとさすがに…。

もちろん、高齢者政策や待機児童問題の原因の根本を
これだけのデータでここに求めるのは
あまりに短絡すぎます。

因果関係と相関関係の区別は明確にされなければいけませんし、
(要するに卵が先か鶏が先かという問題)
それ以前の問題として、
高齢化が進んでいても、
「地域包括ケアシステム幸手モデル」で有名な幸手市
(東埼玉総合病院の中野先生のところです)
http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001011240/6
のように、第1号被保険者の認定率が12%と低いところもありますし、
こういうのを見ていくと、
必ずしも高齢化だけのせいにしてはならない、
手の打ちようがないわけではない、というのがよくわかります。

ただひとつ言えるのは、
地域包括ケアシステム、というのは住民自身、そして高齢者自身の意識と、
それに発するささえあいの精神がないと、役所がどんなに頑張っても
うまくいかない…という面なのだろうと思います。

データは、絶望の材料としてではなく、
希望への道標として用いたいものです。
それは、データを武器とする我々公衆衛生医の
義務であり、大切なミッションと考えています。

地域医療構想とまちづくりの視点

先週末、北海道出身の自治医大OBの集まりがあり、参加してきました。
他大学の普通の同窓会組織と違うのは、中で自治医大卒業生の派遣されている地域の医療に関するdiscussionや
派遣そのものありかたについての意見が交わされることです。

北海道の場合、自治医大の卒業生は9年間のへき地等勤務の義務を終えるとその多くは臨床医としてのキャリアを継続します。

そういった中で私は行政に進んで、今は「マクロ」の物事を動かす仕事をやっていますが、こういう会に出て本当に感じるのは、
「マクロ」は「ミクロ」の積み重ねであるという当たり前の事実です。

もちろん比較で「ミクロ」と申しましたが、実際に地域で臨床に携わっている人たちは地域の医療を死に物狂いで維持すべく頑張っています。
その、積み重ねの成果が「マクロ」なのです。
もちろん、そこには住民や市町村行政の力による下支えが行われており、我々「マクロ」に携わる人間はそれを忘れてはならないと思っています。

さて、新聞記事などで「○○は何床の病床数減」などとセンセーショナルに書かれたので、一般の方でもご存知の方もいらっしゃると思いますが、
今、国を挙げて地域医療体制の再構築を行っております。
「地域医療構想」と呼ばれる一連の動きです。

「地域医療構想」は各地域(概ね二次医療圏)で策定される方向ですが、その過程で、国によるガイドライン作りが行われ、
そして、新聞に載ったような、各地域ごとの2025年の医療「需要の予測」が算出されました。

国の役割はこの予測の算出式を作るところまでで、その枠組を考慮しながら、
今後は各地域において、「その地域の医療の2025年にあるべき姿」の具体論の議論をしていくこととなり、
順調に行けば来年にはその成果物として「○○圏域地域医療構想」というものがまとまるはずです。
「地域性の違いなんかもあって全国一律になんかできるわけがないから、とりあえずアウトラインは国で作るから、実質の議論は地域でしっかりやってくれ」というのが国のスタンスです。

この議論に参加するのは、それぞれの地域によって若干の違いはありますが、
医療機関代表(主に地元医師会)、医療保険の保険者代表、自治体代表(北海道では首長あるいはそれに準ずる方に参加を依頼しております)、患者・住民代表といった幅広い層からステークホルダーの皆様に集まっていただき、

「どうやって病床を減らすか」

…ではなく、

「どのように医療需要の変化に対応していくか」
「各医療機関ごとではなく、地域全体として医療の機能のバランスをどうもっていくか」

という議論をお願いすることとなります。この議論の場を「地域医療構想調整会議」と称します。
(その事務局を、北海道では各保健所が担うこととなります)

もちろん、その中身には在宅医療「等」の整備も含まれており(「等」に入るのが特別養護老人ホームやサ高住など)
医療ベースではなく、生活ベースでまちづくりを進めていかなければならず、
逆に言えば、医療問題を皮切りに自分たちの街づくりのデザインを皆で再考する良いチャンスなのかもしれません。

「医療は必要不可欠なインフラだ」とよくいわれますが、
あくまで街や生活の上に医療が成り立っているのであって、医療の上に街や生活が乗っかっているわけではありません。

今回の構想策定が、そういったことを行政・住民同じテーブルについて皆で考えるよい契機になるといいなと、個人的には考えております。

ケア・カフェ初参戦

旭川を発祥に全国に広まっていった「ケア・カフェ」ですが、
今回、私の勤務地でも行われ、そこにお邪魔してまいりました。

中で行われる話は、いわゆる「ワールド・カフェ」方式(時間の関係もあったのかやや変法ですが)

まず、参加者を各テーブルに分散させ小グループを作り、
テーマに沿ったフリートーク、

その後、各テーブルに「ホスト」を1名残し、テーブルを移動。
自分のいたテーブルで行われた話を持ち寄ってさらにフリートークを広げていき、
基本的に話し合いに結論は求めない…

という流れです。

行政の仕事を始めて、実際に住民や患者さん、介護職の方々と
話をする機会がほとんどなくなってしまいました。

今回、ケアカフェに参加したいと思っていた一番の理由はそれでした。
住民が見えない、住民の声が聞こえない場所で、保健行政が
できるわけがありません。

そういうわけで、「勉強させてもらう」と意気込んで行ったのですが、
医者がそういう場所に来るのはとても珍しい…というか現地のケアカフェでは初めての参加らしく、
なんだか感謝されてしまいました。

いえいえ、とんでもない。こちらが勉強させていただく立場なのに…。

こちらが住民や介護職の声を求めるのと同様に、
参加者の皆さんも「医師の声」は聞きたかった、という部分があったようです。

「ケア」という観点から見れば、医師は重要な歯車ではあっても決して主役ではなく、
その部分ではフラットに話がしたいと思いつつ、
なかなかそれがままならぬことの歯がゆさは臨床医のときから感じていました。
勤務先を一歩出たら、普通の人なんですけどね。

今回参加したことで、いくぶんかでも「医師」に対する垣根が下がったのなら
これほどうれしいことはありません。

この問題は、医師の側からの歩み寄りが必要なのですが、
自らの「足」と「気持ち」で解決できる部分が大きいので、
今後もいろいろな場所にお邪魔したいと思っています。

会場でお世話になったケアカフェのみなさん、ありがとうございました。

第2回”Care Do 北海道”参加記

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10月11日にサッポロファクトリーホールで行われました。
昨年に引き続き、2度めの参加です.

本年も大盛況のうちに終わりました。

昨年はスピーカーでしたが、今回は純粋に聴衆として参加させていただきました。
感染症あり、森林療法あり、がん医療あり、医事紛争あり、サッポロビール(^^;ありと
充実しつつ楽しいひとときでした。

ちなみに把握できただけで、私も含め保健関連部署の道職員が4名参加していたことも
喜ばしいことと思っています。

若手~中堅どころのみなさんが自分たちで企画してオール北海道を掲げたイベントです。

来年もぜひ、3回めを期待しています!

Care Do 北海道

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オール北海道、他職種連携、北海道LOVEを合言葉に始まったこのイベントですが、
とても楽しい会になりました。

北海道にはまだまだ、良心と底力がある、そう感じさせられた次第です。

この場でゲストスピーカーとして伝えきれないことも多々、ありましたが、
それは現実のお仕事で示していければと考えております。

企画に当たられた皆様、運営ボランティアの方々、そしてお誘いいただいた「ささえる医療グループ」の永森先生、本当にありがとうございました。

認知症の末期(ブログ紹介)

たまたまtwiterでわけあって
認知症患者の入院治療についてのエントリーを再掲したところ、
思わぬ反響をいただきました。

同じことを考える医療従事者はいるんだなと、本当にありがたかったです。

そんななか、さらに踏み込んだ意見が
not doing,but being~在宅緩和ケアの普及を目指して
というブログの

認知症の末期

というエントリーに記載されています。

「実は、認知症の末期はある意味がんの末期よりもずっと難しい部分があります。」

私はブログに「共通する部分もある」とのみ記載していますが、
更に踏み込んだこのくだり、全面的に同意します。

くわしくは中身を読んでみてください。

拙ブログにいただいた感想について

これまでのエントリーをお読みいただいて,
twitter上で,RoseShu先生から,とても貴重な示唆に富むメッセージをいただきました.

非常に大事な視点と思いますので,ご本人の許可を得て,転載させていただきます.

ブログ拝読しました。過疎に喘ぐ地域の医療を守る、或いは展望する事は非常に大切な事だと思います。自分も同じ立場ですので。しかしこれは現場の仕事ではなく、都市政策に含まれる仕事。

将来の人口推移を見越し、病院機能分化と集約化、継続可能な福祉政策などは行政の社会的責務です。大概これを放置ゆえに捻れが生まれ現場から意見を発する事になります。当市でもそうです。本日議員さんと懇談しましたが全く医療福祉は分かっていません。

こんな事だから長期的ビジョンなど期待出来ず、将来住民は路頭に迷うことになるでしょう。「福祉こそ市民の権利」とソール市の新市長、まさに地域福祉の将来展望を自治体と共に国が真剣に示すべきと考えます。

えてして,医学部を卒業して,医者という立場,医療という世界にいると,
「命を守る仕事の尊さ」というところ(とても大事ですが)で思考停止してしまい,
医療以外のものに目が向かなくなります.

地域の病院の適正規模,適正な機能という考え方は非常に大切です.
そして,「これ以上はいらない」「ここでストップ」と号令をかけるのも,
地方自治体首長の大切な仕事です.
ただ闇雲に拡大路線を突っ走ればいいというものではありません.

とくに高次医療については隣接自治体と共同してやっていかなければ
ならないことも多々出てきます.今後,地方自治体財政が好転するという
根拠が何もない以上,医療だけじゃなくあらゆる分野での広域連携が
必要になってきます.

地域の医療体制のデザインは,まさにそういった今後の都市政策や都市計画に
含まれるものです.
そう考えると,人口のこれからどんどん減っていく町で,
オラが町の医療だけが拡大路線を突っ走る理由がないわけです.

たしかに高齢者の割合が増えますが,そういう高齢者の全てが高度の医療を
必要とするでしょうか?そうなれば,必要になるのは医療の拡充ではなく,
福祉の受け皿です.これがないと「在宅へシフト」とはいいますが,余りに在宅に傾き
すぎれば,どんどん減っていく労働可能人口の手が自宅介護にとられ,
まちの産業も更に衰退に拍車がかかります.

今後は要介護者の人間性,QOLを損なわない程度に,介護の集約化だって
必要になってきます.
若い人たちには介護に割く精神的,肉体的,時間的負担を極力減らし,
その分しっかり働いてもらわなければ,冗談じゃなく,地域が,日本が潰れます.

その時の私の返事も併せて引用しておきます.

ご指摘の通り地域医療政策というのは「都市計画」の中にしか存在できないと思われます。その中で、どこまでを自治体で支えられるのか、どこから先を近隣自治体に依存するのか、それが実際に可能か、という点の検討が大甘なのです。

更に、それを支援する側の問題もあります。事前検討の甘い構想を支援することは、ある意味これは道税の無駄遣いでもあると思っています。

ただ、これは当地に限った問題ではないのですが、「医師配置計画」は決して「都市計画」の上位に立つものではありません。ところが医療界、各大学医局のみならず、いわゆる「官製医局」と称される我々の部署のようなところでも、そこを勘違いした言動が多々見られるのです。

「医師配置に関する制約」は都市計画の策定にかかわる大切な制限要素ではありますが、決して上位に立つものではありません。地域は、医者が存在するためにあるわけではありません。そこに地域が存在するから医療が必要なのです。ここ、医者を送る方も、送られる医者も意識すべきです。

そう考えると、医師派遣のパラダイムを早急に変えていく必要があるのだろうと思います。限られた社会資源の分配、という大変困難な作業を行っているわけですから.

これに対し,更にRoseShu先生より,私(だけじゃなく多くの北海道の自治医大卒業生)の思いを
まるで代表するかのようなこんな一言をいただきました.

非常に同意します。長期的展望をもった都市政策は病院機能分化や集約にも繋がり、それがあって初めて医師配置が可能となるはず。「ものがあるからそこに行け」では見殺しといっしょ。

私の冗長なコメントをものの見事に吹き飛ばしてくれました.
これは一般の大学医局でも同じ状況があります.
医師配置が先にありき,という考え方でその場しのぎの派遣をされ,
行ったはいいが必要とされているのかわからないとか,明らかに戦力過剰で
わざわざ他地域から手術症例や検査症例,外来患者を「奪って」
きて隣接地域の
医療体制を破滅に追い込む片棒をかつがされるとか,そういう弊害はいろいろあります.

「必要のないものは手放す」

たったこれだけができないために,
地域の現場にどれほどの不条理を生じているか…

そういうことを,医者を送る側も,送り込まれる側も,それを仕切る側も,
きちんと認識してことに当たる必要があると強く感じます.

まあ,医療に限ったことではありませんが.

末筆となりましたが,非常に示唆に富むご指摘をいただいたRoseShu先生.
本当にありがとうございました.
また,何かとご教示の程,よろしくお願い申し上げます.

命のバトンとDNAR~後日談

以前のエントリー「命のバトンとDNAR」というのをアップしていたのですが、

その後、ある医師が終末期医療にまで範囲を広げて意思表示カードを作ってtwitterにアップしていたので、
そちらをここで拡散します。

いやはや、何をやっても先んじている人というのはいるものです。

どうぞ、こちらをご覧ください。

感想や意見は、作った本人に直接twitterなどで送ると、きっと作成者も喜ぶと思います。

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