ダウンサイジング

拙ブログにいただいた感想について

これまでのエントリーをお読みいただいて,
twitter上で,RoseShu先生から,とても貴重な示唆に富むメッセージをいただきました.

非常に大事な視点と思いますので,ご本人の許可を得て,転載させていただきます.

ブログ拝読しました。過疎に喘ぐ地域の医療を守る、或いは展望する事は非常に大切な事だと思います。自分も同じ立場ですので。しかしこれは現場の仕事ではなく、都市政策に含まれる仕事。

将来の人口推移を見越し、病院機能分化と集約化、継続可能な福祉政策などは行政の社会的責務です。大概これを放置ゆえに捻れが生まれ現場から意見を発する事になります。当市でもそうです。本日議員さんと懇談しましたが全く医療福祉は分かっていません。

こんな事だから長期的ビジョンなど期待出来ず、将来住民は路頭に迷うことになるでしょう。「福祉こそ市民の権利」とソール市の新市長、まさに地域福祉の将来展望を自治体と共に国が真剣に示すべきと考えます。

えてして,医学部を卒業して,医者という立場,医療という世界にいると,
「命を守る仕事の尊さ」というところ(とても大事ですが)で思考停止してしまい,
医療以外のものに目が向かなくなります.

地域の病院の適正規模,適正な機能という考え方は非常に大切です.
そして,「これ以上はいらない」「ここでストップ」と号令をかけるのも,
地方自治体首長の大切な仕事です.
ただ闇雲に拡大路線を突っ走ればいいというものではありません.

とくに高次医療については隣接自治体と共同してやっていかなければ
ならないことも多々出てきます.今後,地方自治体財政が好転するという
根拠が何もない以上,医療だけじゃなくあらゆる分野での広域連携が
必要になってきます.

地域の医療体制のデザインは,まさにそういった今後の都市政策や都市計画に
含まれるものです.
そう考えると,人口のこれからどんどん減っていく町で,
オラが町の医療だけが拡大路線を突っ走る理由がないわけです.

たしかに高齢者の割合が増えますが,そういう高齢者の全てが高度の医療を
必要とするでしょうか?そうなれば,必要になるのは医療の拡充ではなく,
福祉の受け皿です.これがないと「在宅へシフト」とはいいますが,余りに在宅に傾き
すぎれば,どんどん減っていく労働可能人口の手が自宅介護にとられ,
まちの産業も更に衰退に拍車がかかります.

今後は要介護者の人間性,QOLを損なわない程度に,介護の集約化だって
必要になってきます.
若い人たちには介護に割く精神的,肉体的,時間的負担を極力減らし,
その分しっかり働いてもらわなければ,冗談じゃなく,地域が,日本が潰れます.

その時の私の返事も併せて引用しておきます.

ご指摘の通り地域医療政策というのは「都市計画」の中にしか存在できないと思われます。その中で、どこまでを自治体で支えられるのか、どこから先を近隣自治体に依存するのか、それが実際に可能か、という点の検討が大甘なのです。

更に、それを支援する側の問題もあります。事前検討の甘い構想を支援することは、ある意味これは道税の無駄遣いでもあると思っています。

ただ、これは当地に限った問題ではないのですが、「医師配置計画」は決して「都市計画」の上位に立つものではありません。ところが医療界、各大学医局のみならず、いわゆる「官製医局」と称される我々の部署のようなところでも、そこを勘違いした言動が多々見られるのです。

「医師配置に関する制約」は都市計画の策定にかかわる大切な制限要素ではありますが、決して上位に立つものではありません。地域は、医者が存在するためにあるわけではありません。そこに地域が存在するから医療が必要なのです。ここ、医者を送る方も、送られる医者も意識すべきです。

そう考えると、医師派遣のパラダイムを早急に変えていく必要があるのだろうと思います。限られた社会資源の分配、という大変困難な作業を行っているわけですから.

これに対し,更にRoseShu先生より,私(だけじゃなく多くの北海道の自治医大卒業生)の思いを
まるで代表するかのようなこんな一言をいただきました.

非常に同意します。長期的展望をもった都市政策は病院機能分化や集約にも繋がり、それがあって初めて医師配置が可能となるはず。「ものがあるからそこに行け」では見殺しといっしょ。

私の冗長なコメントをものの見事に吹き飛ばしてくれました.
これは一般の大学医局でも同じ状況があります.
医師配置が先にありき,という考え方でその場しのぎの派遣をされ,
行ったはいいが必要とされているのかわからないとか,明らかに戦力過剰で
わざわざ他地域から手術症例や検査症例,外来患者を「奪って」
きて隣接地域の
医療体制を破滅に追い込む片棒をかつがされるとか,そういう弊害はいろいろあります.

「必要のないものは手放す」

たったこれだけができないために,
地域の現場にどれほどの不条理を生じているか…

そういうことを,医者を送る側も,送り込まれる側も,それを仕切る側も,
きちんと認識してことに当たる必要があると強く感じます.

まあ,医療に限ったことではありませんが.

末筆となりましたが,非常に示唆に富むご指摘をいただいたRoseShu先生.
本当にありがとうございました.
また,何かとご教示の程,よろしくお願い申し上げます.

なんとなくつぶやいてみた…(一部修正あり…)

ツイッターでつらつらと日々の思いを…
(文章のカッコ内は後で加えたものです)

結局(昨日の)千歳の悪天候で帰れなかった先生方は各々、釧路からJRまたは一泊して今日の航空便で帰ったよう。

しかし、札幌に帰れない…ということはイコールで来づらい、ということ。同じ僻地でも交通の便の良い僻地と、そうでない僻地がある。

とくに根室管内は、中標津空港ジェット化に先立って標津線が廃止された。道路状況はそんなに悪くないが、釧路を中心とした道東地域の都市圏のいびつな配置により、とくに根室中部、北部には距離的な問題が発生している。このため局地的な自然災害以外に今回のような千歳の悪天候にも弱い。

そう考えると、実情は非常~に脆いインフラの上に、地域医療のみならず地域のすべてが成り立っているのだという事実に直面させられる。怖いのであまり表面化したくないのが正直なところだが、それが現実。

医療の各専門分野がこれだけ細分化され、その一つ一つに人海戦術のように人がつぎこまれるようになり、もともと潜在していた高度医療を行う(都会の大病院や大学病院のような)医療機関の慢性的人手不足が、名義貸し騒動と臨床研修義務化を契機に一気に顕在化した。

大学病院から個人開業医にいたるまで、医療レベルを下げる、というのはどこでも受け入れがたい決断。地方議員や首長の意を汲んで成立している地方公立病院、診療所ならなおさら。

過去に戻ることはもうできない以上、今後の長期ビジョンに対する住民コンセンサスの確立は必須。道路や交通機関を充実させ、医療そのものは必要最小限の軽装備にするか、あえて自己完結型の医療を目指していくのか、そうなるならその具体策は…?などなど

首長が現場も考えず勝手に、できもしないことをさもできるように住民に約束したり、逆にやるべきことをやらなかったり、あまつさえそれで生じた赤字や住民の不満まで医療従事者の責に帰す。当然心理的圧迫も強くなり、もともと地域では余所者だった医師は居づらくなってしまう。

そもそも医師の能力にはある程度の偏りがあるし、そのマッチングだってしていなかったりする。一体自分は何のために来ているかだったわからなくなる。はたして自分はここに居る必要があるのか…

そんなことが最初からわかっている施設に誰が好き好んで行こうと思うだろうか?決して報酬や待遇なんかの問題じゃない。

「民度」の問題を持ち出す人もいるが、ここらへん事務職の責任は非常に大きいと考えている。

私自身は医師の報酬を下げることには実は反対ではない。ただ、現状を考慮すると僻地の医師招聘や医療体制・医療資源の確保に責任のある事務職の幹部クラスには、医師と同等かそれ以上の待遇があってしかるべきと思う。

そのかわり、医療体制の維持確保に関するビジョンの策定や、住民との合意形成、首長の方針とのすりあわせ、首長交代による激変の緩和などにはきちんと責任を持ってもらう。

この仕事、ちゃんと真面目にやったらとても大変。とくに住民の合意形成などという仕事は想像するに余りある。良心的な自治体であっても、院長とか現場のトップが片手間に講演とかやっているのがせいぜい。いかにそういう仕事が評価されていないかの証左。

地域の医療体制の適正規模での維持(必ずしも縮小のみとは限らない)と、それに対する住民合意の形成、という(事務だろうが医者だろうが)とってもしんどい仕事・努力に対して余りにも過小評価しすぎたことが、地域医療崩壊の一因をなしていたのかも…。

医療資源確保競争に敗れた地域にも住民は存在する。田舎であれ都会であれ、まずは住民・役所・首長・議員自身が「自分たちは敗れたのだ」と現実を認識すること。それなしに先へは進めないと考えています。

全床療養転換も,実際に急性期病床が実質療養病床的な使われ方しかされていない地域では一法ではあるかも.需要に応えるという意味では….

生き残れなかった地域の住民が一気に流れ込んできて,急性期を扱う後方病院でこうも次から次と長期の社会的入院を要求してくる様を見るのも何とも….町そのものの良識が疑われてますよ….

それでもオラが町に急性期病床がほしいなら,その需要があることを住民が身をもって示すべきだった.崩壊に至る前に….

ファミレスに行って食事もせずに飲み放題のドリンクバーを飲む人ばかりが利用したらそりゃ,店潰れるだろう…

そして周辺住民はファミレスはメシがマズイから隣町の専門店街まで出かけてくるんだと吹聴してまわる…その行為自体は問題ないけど,それでファミレスが潰れて「うちの町にはファミレスがない」とぶーたれるのは,かなりの問題でしょう.住民全体のインテリジェンスすら疑われかねない….

それを「民度が低くてどうしょうもない」ととるか,「改善の余地がある」ととるかは人それぞれ.私は後者から前者になりつつあるのを必死でこらえているが,当然後者でありたいと思っているし,後者の考え方をする人といっしょに働きたい.

(でも住民自身が改善の必要性を認識してくれなければ…)

ただのつぶやきです.具体的に何かを指しているわけではありません.
そう…ただのつぶやきです………

病院のダウンサイジング~米内沢総合病院の件で考える~

米内沢総合病院:民間移管を断念 4月から診療所に--北秋田市長表明 /秋田

羅臼町や,夕張市の例もありますが,なかなか,医療機関のダウンサイジングというのはえてして一筋縄ではいかない事例が多いですね.

この地域の特性などは知らないので,あくまで記事やネット情報から類推するしかないのですが,隣町である上小阿仁村と北秋田市で作る一部事務組合立の病院で,15科,254床というのですから,かなり大きな病院であったはずです.

まず,北秋田市民病院への集約化構想に伴って,職員の集団退職騒動があり,以後は慢性期病院としての存続を考え,民間移譲を試みるも引き受け手が現れず,結局診療所に格下げという風に記事からは読めます.

しかしながら,このダウンサイジング,おそらく当初からきちんと計画されたものではなさそうです.254床を擁する病院の建物のまま診療所化を行うことの非効率性(夕張を見ればわかる)や,診療所で心臓外科を標榜するという意味のわからなさも,状況に引っ張られなし崩し的に急ごしらえのダウンサイジングとならざるを得なかったことを物語っています.

今後,医療の高度専門化がますます進めば,更に大病院に人手が必要になり,農村漁村山間部離島などの医療の対象人口自体も過疎化で減少傾向となるでしょう.
限られた経営資源の範囲内で広域医療を安定維持していこうとするならば,その人口や地理的条件から見て過度に大きな医療機関のダウンサイジングは必要です.

しかし,医療施設のダウンサイジングが,そのまま地域医療そのもののダウンサイジングにつながる事態(地元で死ぬことすらできない…とか)は避けたいものですし,それを巡る職員・住民との衝突も可能な限り避けなければなりません.

そのためには,病院のもつ様々な機能の中で,何を他に委ね,何を地元で維持すべきかをきちんとした哲学に沿って明確に決定し,それを住民に納得してもらう努力というか計画性が必要ですし,住民側や職員側にも,おらが町の病院を現状で存続させることが本当に長い目で見て良いことなのかどうかを真剣に考える必要があるでしょう.

行政の確たる長期的ビジョンをベースにした堅固かつ能動的なダウンサイジング構想(単に医療面だけでなく,職を失う人たちの雇用対策や病院を縮小することによる地域経済への影響の対策なども含めて!)と,住民・職員のダウンサイジングの必要性に対する深い理解,そして隣接自治体との良好な関係,この3者が揃うことが,病院のダウンサイジングを進めるには必須条件であり,「地域医療の先進地」夕張といえども,残念ながらこの点では成功しているとは言い難いなという印象です.

羅臼町などは,3つとも揃わず,ダウンサイジングそのものも受動的であり,結果として大失敗して地域医療そのものまで崩壊した悪例の筆頭格になってしまいました.

正直,じゃあどうすればいいのか…偉そうなことを書いた私自身も確たる方策が見いだせておらず,まだまだ勉強が必要と思っています.

どこか,スムーズかつ遺恨を残さないきれいなダウンサイジングの見本を見せてくれる自治体はないものですかね….
なければ人に頼らず自分で作るしかないか…う~む.

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