”医療崩壊”について

Dr.SAMMYの医師偏在対策”妄”想(医師偏在の処方箋…への処方箋 続編)

この先、内容が内容ですので、お約束の前置き

前エントリーにも記載しましたが、このブログの記載は、所属組織とは一切関係ありませんので、
内容について所属組織に問い合わせることは一切ご遠慮ください。
また、プライベートなブログの内容について私の勤務先などに照会をいただき、私がそれに答えることは
「職務専念義務違反」「職場の電話の私的利用」となりますので、
当然のことながらそのような対応は一切いたしません。
ブログ内容についての問い合わせや疑問・照会その他は
必ず、本ブログにリンクされているメールアドレスもしくは、コメント欄にお願いいたします。
(希望があればコメント欄投稿に非公開希望といった対応も可能です)

さて、このエントリーは、前エントリーの内容を受けてのものなので、
まずはそちらを読んでいただかないと、
たぶん内容がさっぱりわからないと思います。

「暴論」ついでに自分の頭の中にある具体論を示す。
 前エントリーで示した
「一定の数の医師のへき地への最低1年以上のスパンでの「常勤医の派遣」を
「基幹型臨床研修病院」の指定要件に組み込んでしまうという手もあろう。」

の、具体案である。

「地域医療体制確保イコール医師招聘、医師数確保ということではない」と
言い続けてきて随分経つが、
医師偏在という現実が存在することもまた事実である。

頭の中にあったもやもやしたものを単純に文章化して吐き出しただけなので、
実現可能性や支離滅裂さについては目をつぶっていただきたい。
個人的には「何に目をつけているか」のみを見ていただければそれで十分と思っている。

また、この考え自体は特定の自治体や地域を指したものではないことをご了承いただきたい。

・医師派遣の希望は各施設ごとに募り、年1回、都道府県で一括してまとめる。その時期は、外来の周期が長い患者で3ヶ月程度であることを勘案して、それに調整を間に合わせるために10~11月ごろとする。

・その内容には、実際の診療対象人口・区域、希望する科の医師人数、科でもっている病床数と病床回転率、医師1名1日あたりの外来患者数、入院患者数、処置・手術の実施数、医師不足によって起こっている患者流出の具体的状況(推定流出患者数、流出先医療機関)、(病床ありの場合は)平均在院日数、および90日以上入院している患者がいる場合はその理由。自宅退院率と、周囲の介護保険施設の状況(待ち時間なども含め具体的に)。

・医師数増によって、外来・入院患者数、処置・手術の数の増加する見通しおよび、現在できていない処置を新たに開始したい場合はその具体的な内容と予想される件数(例:心カテ○件/年、内視鏡○件/年、開腹手術○件/年など)

・当該病院の医師1名1ヶ月あたり当直数およびオンコール回数(給与の出ていない自主オンコールも含めて具体的に!→要するに月30回オンコールというのも当然あり)

・その施設が万一縮小または廃院、科閉鎖となった場合に起こりうる影響を具体的に(例:今まで当院で○○の手術ができなくなる、急性冠症候群の患者搬送距離が200kmを超えてしまう、脳梗塞に対するt-PA治療が不可能な地域ができてしまう、離島で医師不在中の看取りができず在宅で最期を迎えられなくなる…とか)。実際に不利益を被るであろう、推定患者数も含めて。

・医師を実際に派遣した際に、どういう使い方が想定されるのか(月間当直/オンコール回数、外来のコマ数、手術・処置・検査の数、完全フリーになれる日数をどれだけ、どう保証するのか)

・医師以外のスタッフの充足率。とくに看護師不足による休床の有無と数は重要。

・医師増員による病院経営改善の見通しと、医師増員のならなかった場合の経営試算。

と、最低限ここまでは見通しを示してもらいたい。

これは、そんなのわからない、予測できないでは済まない。
限られたパイをどう切りわけるか、最終的に市町村ごとのガチの利害調整になる以上、
このくらいの情報が出せないような甘えた自治体には人員を要求する資格がない、
ということは明確にしておいた方がよいだろう。
また、目的はあくまで住民・患者の利益にあるので、
当然のことながら病床を維持することで生じる補助金などが目当ての場合は
明確に排斥されるべきである。
(ちなみにこれらのほとんどは、
 以前自分が派遣された施設に、実際に自分で確認していたことである)

さて、続き

・上記各報告については、必要に応じて都道府県が各派遣希望施設に詳細な事情を確認することができ、各派遣希望施設はこの確認に対しては誠実・率直に答えるものとする。

・基幹型研修病院には必ず1名以上、派遣調整を行う「調整員」を配置する。少なくとも各科部長クラス以上で、一定期間以上のへき地診療経験のある人が望ましい。

・都道府県ごとに一括してまとめた情報をもとに、各基幹型臨床研修病院ごとに可能な派遣施設、派遣可能な要員をまとめてもらう。派遣希望施設から得られた情報は全て「調整員」に開示される。

・派遣される要員は、家庭医・総合診療医などのほか、地域センター病院に必要な各科専門医も含まれる。とくに一人医長や一人診療所などのため医師に「万年オンコール状態」「万年宅直状態」などの過大な負担がかかっているところは診療対象人口・診療内容を考慮した上で優先されるが、適切な集約化とそれに伴う住民の不利益のカバーを行う計画がきちんとできていることと、夜間休日のコンビニ受診防止のための住民教育が市町村の保健部門によってきちんとなされていることが条件となる。

・派遣医師の年次は、自治医大の義務年限が最短9年であり、地域枠の義務年限も9年を想定している都道府県が多いこと、地域である程度責任ある立場に立つことを想定しているため、医師10年目以上を原則とする。

・自前の医師数減を前提とした派遣増員要請は、特別な事情がない限り原則認めない。
 (特別な事情とは、自前雇用の医師の能力不足や勤務態度不良・素行不良などのために明らかに住民・患者や病院経営に害を与えている場合などを想定)

・都道府県は、それをまとめて、重複および不足を調整する。不足分が充足できない場合は、都道府県が先に得た情報から優先度を勘案して派遣人員の調整を行う(その際、必ずしも数だけではなく、診療内容や質・必要な技能も当然考慮する)。その際、各基幹型研修病院の「調整員」の意見は聞くが、一方で都道府県の行う調整については、後に述べる拒否権を行使する場合のほかは必ず従うこととする。
(なぜ、「地元の意見」としなかったのかというと、ガチの利害調整なので、「うちが、うちが」となるに決まっているので)

・この調整によって、とくに大都会の基幹型研修病院ほど、遠隔地への派遣が多くなる傾向になってくるものと思われる。(これは甘受してもらうしかない)

・また、首都圏近郊の県など、県内の医師数そのものが不足しているところについては、県を越えた調整を行う。

・このマッチングが終了した時点で、各基幹型研修病院と派遣先施設との直接交渉は可能とする。ここで、派遣医師の待遇や、具体的な診療の内容・期待する診療の量など具体的な交渉を個別に行う。派遣予定医師本人の交渉への参加は、これを強く推奨する。

各基幹型研修病院には派遣についての拒否権を与える。これは、「医師いじめ」や嫌がらせ、常識に照らして明らかに不当な待遇面の問題、適正な診療の妨害(例えば議員や首長などを介した不適当な社会的入院の強要など)などの派遣医に対する不当な扱いを防ぐ目的のほか、医師以外に経営悪化や診療体制縮小の原因があってそれが改善されない病院に継続して医師を派遣しても有効な地域医療支援にはならないからである。例を挙げるならば医療従事者の適性を欠く職員のコネ採用や、必要な医療機器・人員についての予算が決定的に不足しているような状態や、不正経理・補助金の他目的への流用といった不適切な病院運営など。まちの政情不安定による医療機関の体制不安定も理由となる。

・その他、その派遣先施設の要求する水準の医療を提供できる人員が派遣元基幹型研修病院にいない場合も拒否権行使可能要件とする。

・拒否権を行使する場合は必ず、「調整員」と院長の連名で拒否権を行使する正当な理由があることについて文書で示すこととする。都道府県はそれをもって実態調査を行い、理由が正当であり、かつその事実が存在する高度の蓋然性が認められた場合には、その事由がなくなったことが確認できるまでの間、「派遣リスト」より外し、別途「ブラックリスト(仮称)」に登録することとする。

・一方、拒否権を行使する場合、拒否した分の人員を必ず別施設に派遣すること。(その場合、同じ科・同じ医師でなくともよい)

・各派遣先施設については、派遣される医師を拒否することは原則不可とするが、派遣される医師について決定前に派遣先と派遣元で協議を行うことは強く推奨する。派遣予定医師本人を交えるとなおよい。実際の診療などの際に住民・患者の不利益となるような能力の不足や勤務態度・素行不良、職場内の人間関係などの問題があった場合には、派遣元基幹型研修病院に対して人員交代を要求することができる。この交渉が決裂した場合は都道府県が仲裁に入り、実態を把握した上で調整を行う。

・一方で、拒否権を不当に行使していることが明らかとなった派遣元病院については、補助金カット・基幹型研修指定病院指定取り消しなども含めた、相応のペナルティを与える。

・全ての交渉がまとまった時点で(まとまらなくても一定の期限を切って)各派遣元施設の「調整員」会議を開き、その場でその年度の派遣計画について、正式に承認を行う。資料は事前配布し、問題点があれば事前に、あるいは会議の場で討議する。

・医師の派遣については年1回更新を行う。その協議の時期は、市町村の派遣依頼とりまとめと同時とする。その際、人員交代することも同じ人を派遣することも可能だが、原則同じ基幹型研修病院から次も派遣するものとし、患者引き継ぎは前後の人員が責任を持って行うこととする。

・この「更新」の際、何らかの理由で同じ基幹型研修病院から人員を派遣できなくなってしまった場合は、改めて都道府県による調整を行うが、その場合は各「調整員」が責任をもって前後の医師間の引き継ぎの場のセッティングを行うこと。

・「更新」の際も同様に、基幹型研修病院の「拒否権」と、派遣医師についての「事前交渉」は認めるものとする。とくに後者は推奨する。また、都道府県でもこのままの派遣継続が適当かどうか、各々の施設について必ず再検討を行うこととする。

・一方で、長期間の遠隔地・離島勤務や勤務条件の厳しい地域への長期連続派遣による派遣要員の心身の疲弊を防ぐ責任は基本的に基幹型研修病院にある。「調整員」が中心となってそのような事態が起こらないように調整を行うこと。

・各派遣先施設は、それぞれの経営状態・地域の医療の状況について、年1度派遣によって得られた改善の度合いを最初に挙げた各指標をもって都道府県に報告するものとする。それをもとにして都道府県は今後の派遣継続の要否を判断して、派遣リストを定期的に見直し、更新する。

・派遣要員の雇用、育成にかかる費用は、都道府県がきちんと予算として捻出する。

専門医資格の維持のための症例蓄積、研修機会の確保については、派遣元医療機関が責任をもって行うこと。(研修日の代診派遣や、指導医の派遣など)

・都道府県はその時々の事情に照らし、定期的に派遣リストの見直しを行うこと。

と、ざっと頭の中にあるものを掃き出してみた。

基本的に医師派遣というのは、派遣先と派遣元、派遣先と派遣要員の信頼関係がとても重要。
それはとてもパーソナルなものであり、とても内輪的なものではあるけれど、
それが地域では大切なものになっているということは否めないし、それが地域医療というものである。
その信頼関係を一方的に崩した施設や自治体には、
派遣元であろうが派遣先であろうが相応のペナルティを与える必要があろう。

また、一度書き出してみてざっと眺める限り、基幹型臨床研修病院に非常に多くの負担がかかる
システムを自分は頭の中で考えていたことがとてもよくわかる。
ただ、大学から初期研修医を「奪い去った」のだから、それまで大学医局が果たしていた役割の
いくばくかは果たしてもらわないと困る、ということもあろうし、
前エントリーにも書いた通り、少しくらい余剰人員を抱えるくらいでないと、実際の研修医の教育を
十分に行うことは難しいと思われ、それに対する手当はきちんと行う必要はあるのだろう。

それと同時に、各自治体に対しても「定期的に医師が供給されることで生じてくる甘え」を
起こさせない対策も必要だということはこれまでの地域での臨床経験で痛感している。

私自身も、文書にまとめてみて、改めてへき地・離島勤務中に
何に悩み、何に憤っていたのかを、きちんと整理できたように思われた。

こんな「荒唐無稽」な案がもちろん、どこかで採用されるなんて夢にも思わないが、
(あえて「思いつき」とは言わない。10年以上かけて温めてきた思いなので)
各自治体が
「よそ者の力を借りてまで自前の医療機関を維持して
 住民の健康管理・疾病対応に当たる」
ということがいったいどういうことなのか、
何を意味し、どういう覚悟を要求されるのか、
といったことを考える契機になればそれに優る幸せはない。

「医師不足」「医師偏在」とはその現象自体が本質なのではない。
あくまで表層的な「現象」にすぎず、
いったいどんな背景が実体化されたものなのか、
当事者がしっかり考えなければ、
現状のさらなる改善はないだろう。

医師偏在の処方箋…への処方箋

はじめに断っておくが、このエントリーも含めて当ブログの内容は個人的見解であり、所属組織とは何らの関係もないことを確認しておく。

ずっと、読まなきゃ読まなきゃと思っていて読めなかった、道医師会の雑誌の「北海道の地域医療を立て直す」特集をようやく時間がとれて読むことが出来た。

その中で、「医師強制へき地派遣論」と「医局制度復活論」、そして「医師のモラル論」が余りに多くて驚いた。

「医師強制へき地派遣論」だが、これは言うに及ばず。
資質も希望も能力も無視する形で派遣された医者の診療を受ける住民がいい面の皮だ。

「わが街に警察も消防も郵便もあるのに、何故医者だけがいないの?」という質問に答えられなければならないという趣旨の記載もあったが…

基本的に警察、消防、郵便は、組織が一元化されその人事で動いているが、医者はそうではない。
だから、医者の人事も誰かが管理しなければならないということなのだろうか?

なるほどそれは一面正しいし、医師が国家資格である以上、何らかの縛りが必要というのも頷けるが、
セクションリーダーであっても組織の一員としての仕事が要求される警察・消防・郵便と、
必然的にトップとならざるを得ず、個人の資質でその地域の医療の質が大きく左右される医師の派遣を同一視してはならないと思う。
要求される仕事の質が違いすぎるのである。

一方の「医局制度復活論」。
過去の時代に大学医局に所属しなかった「一匹狼的医師」にあまり質のよろしくない医師が一定割合でいたことと、
医局が優れた教育機能を持っているかどうかということは、私は別の議論だと思う。

すでに医局の崩壊した時代にもう一度医局を復活すれば、医師の質が上がるのか?

マッチングの需給関係もあるのか、あくまで印象だが、
実際に研修医の指導も経験しての率直なところ、
最近では市中病院での研修を希望した研修医の方がむしろ自分の知識や勉強に切迫感があって
優秀だったり、将来優秀になるのだろうなと思わされたことの方が多かった。

私の後輩でも、外科で大学医局に所属しない選択肢を選んだ医師が複数いる。
外科は「手から手へ伝えられる職人芸」であることは誠にその通りだが、
勉強のしかたを自ら考え、研修先を選び、必死で頑張ることで、
十分その差は埋まるものだと痛感させられた。

そのような人たちまで一律に大学医局に閉じ込めようというのは、
はっきり言って暴論だと私は思う。

もちろん、今の世の中にも「大学医局」は存在するし、
自分の医師としての将来を教授や医局長、医局の先輩にプロデュースしてもらうという選択肢そのものは
当然あってよいと思われる。それを否定するわけでは断じてない。
そうしたい人はそうすればいい。その意味で「医局機能」には未だに意味があるとも私は思っている。

3番めの「医師のモラル論」は、へき地の診療に携わることは医師の義務である、とする論であるが、
では、全国的に数が少なくてとても困っている法医学分野はどうするのか?行政医師は?
解剖学などの医師資格がなければできない基礎研究は?
これらはニッチではあるが、世の中になくてはならないニーズであることは論を待たない。
「医師強制へき地派遣論」でも述べたが、医師個々の資質や興味、希望も無視して
単に義務感だけでへき地に一定期間行ってもらうというのは、私は大いに違和感を感じる。

これらの論で、大変強く感じたのは、
あまりに「医師個々の肩に社会防衛を背負わせすぎ」ということである。

これからの地域(ここでは「へき地」ではなく、へき地も都会も含めた全ての地域医療を指す)
の医療は、個人の資質や献身に依存するのではなく、
システムでやっていかなければ立ち行かなくなるというのは
過去のエントリーで口が酸っぱくなるほと論じていることではあるが、
残念ながら「へき地」と呼ばれる地域では未だにそれが当たり前に行われているし、
現状ではある意味必要悪として受け入れざるを得ないのであろう。
だが、
「医師個々のモラルや義務感に依存した体制は、その医師の事情の変化によって一瞬で崩壊する」
というのもまた事実であり、医師の少ない地域の医療のシステム化は少しずつでも
行っていかなければならない課題なのだろう。

ただ、それを「医師の義務」として全ての若い医師にかぶせようとすれば、
制度としての「失敗」はないかもしれないが、
医師過少地域の医療レベルは、さらに低下するだろうと私は考える。

これは「医師の義務」とするよりは、「大病院の義務」とした方がいいと思う。

一定の数の医師のへき地への最低1年以上のスパンでの「常勤医の派遣」を
「基幹型臨床研修指定病院」の指定要件に組み込んでしまうという手もあろう。

「研修病院だって人手は不足してるんだ!」という声が聞こえてきそうではあるが、
では、そもそも論として、そのような「人手不足」病院で満足な研修医教育ができるのか?
いないなら、へき地診療に携わる能力のある医師を雇うか育てればいい。
「へき地診療」には「へき地診療」なりの専門性が必要だ。
それを実践して人を育てている講座や団体、研修病院は道内にいくつもある。
それができるのが「基幹型研修病院」だろう。

少なくとも医師会の雑誌に限らず、そういった議論は余り出てきていなかったように思う。
何か理由があるのだろうか…?

これも「暴論」と言われそうだし、現状を考えると「暴論」であることを否定はしないが、
少なくとも、現状の医師偏在の原因・対策を医師個々のモラルに帰してしまうような
システム構築論の乱暴さよりはまだましと思っている。

浦河で「看護崩壊」…

看護師24人、今月末に一斉退職へ 北海道・浦河赤十字病院「人手不足で仕事つらい」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/526570.html

奨学金で若い看護師さんをつなぎとめていたのですね。

なんだか、やるせない記事です。

ただ、集団退職自体はきっかけと理由さえあればどこででも起こりうる話なので、

決して他人事ではありません。


医師「確保」と言われますが、

医療は医師だけではできません。


むしろ、こういう地域になればなるほど、

業務の比重は医師よりも、看護師さんの比重が増してきます。

「看護崩壊」から「医療崩壊」に至る例はこれまでにも多くありました。、

というか「看護崩壊」=「医療崩壊」と考えても差し支えないと思います。




しかし、一体何があったのでしょうかね…(>_<)

内科外来診療と地域保健の「プロフェッショナリズム」

 こんな私ですが、かつて「大学病院」というところにいたことがあります。

 そこでは、主に消化管、つまり胃や腸の病気を専門にしていたのですが、その中でも特に「炎症性腸疾患」といわれる、「潰瘍性大腸炎」や「クローン病」といった疾患の診療に力をいれていました。

 両方共、いい時は普通に近い生活が送れるのですが、一旦悪くなると下痢や下血、腹痛、発熱などに悩まされ、これを繰り返すという大変な難病です。未だに、「完全に治す」方法は確立されていません。

 共通して言えるのは、いかに内科の範囲でおさめるか、つまり手術を避けるか、というところが急性増悪したときの治療の基本的な目標となります。

 潰瘍性大腸炎の手術は、全結腸切除、つまり大腸を全てとってしまうことであり、多かれ少なかれ下痢に悩まされることになりますし、クローン病にしたって、切ってつないだ腸に潰瘍ができたり、そのために繋ぎ目が狭くなって便が通らなくなったり、手術を繰り返すうちに癒着で腸閉塞になったり…といったこともあり、内科の治療で改善できるならそれに越したことはないわけです。

 「手術になったら、負け」

 と、誰かが言ったわけではありませんが、そういう気概で、何より患者さんの将来のために、手術を避けるべく、全知全能を傾けて治療を行うわけです。決して、「いざとなったら外科で切ってもらおう」などといった了見で治療に当たっていたわけではなく、それが、「内科のプロフェッショナリズム」だったのだと思います。

 さて、日々、内科外来で診療にあたっているわけですが、ご高齢の方はとにかく一日でも長く「元気に楽しく生きてもらう」こと。在宅の人は在宅で、施設の人は施設で、精一杯可能な範囲で楽しく元気に生きていただくこと、若い人は将来入退院を繰り返すような体質を作らないこと、少なくとも私はこれを目標に外来診療を行っています。

 そう。内科外来を担当する医師にとって、担当患者の予定外入院・緊急入院はまさしく「負け」なのです!

 しかるに、過去の勤務先でも「病院収入がまずい。このままでは不良債務を抱えてしまう。入院は重要な病院の収入源だ。だから、とくに内科は一人でも多く、一日でも長く入院させてくれ」といくつもの施設で何度言われたか、もう思い出せないくらいです。

 そのたびに、外来担当内科医としての(もちろん入院も担当していますが)モチベーションが、ガタガタと音を立てて崩されていきました。へき地と呼ばれる場所ほどそういう傾向は強く、「自分はいったいここに何をしに来たのだろう」と自問自答する日々が続きました。

 地域保健行政にも同じことが言えると思います。「自分たちの管轄の住民、高齢者を入院に追い込んでしまったら、負け」というプロフェッショナリズムで仕事をするのが本来の姿であり、まして「いざとなったら病院へ」などという考えで仕事をするのなら、それは「保健行政」という尊い仕事の価値を自らの手で地に落とすのと同じことだと強く思います。それはもはや「仕事」とも呼べないお粗末なものです。

 首長自ら「先生の力でわが町を健康な町にしてください。入院するお年寄りが多すぎます。お年寄りの入院を一人でも、一日でも減らし、一日でも長く、在宅で、施設で、元気に生き長らえさせてあげてください。若い人が年をとっても、ず~っと農業や漁業に携われるように、一緒に頑張りましょう!」

 そう言われたら、それこそ腕まくりして限界まで頑張るぞ!という気にもなるというものです。

 ここで、ある、プロサッカーチームを想像してみてください。

 さて、これから選手がまさにピッチに散ろうとしている寸前に、いきなり球団社長が現れ、

 「お前らぁ~。今日の試合は八百長をやって負けてくれ。そうすれば、チームの親会社に金が入る。チームは金策で困っている。お前らは俺達の金で食っているんだから、嫌でも従ってもらう。じゃ、ヨロシク!」

 などと言ったら、選手はどんな気持ちになるでしょうか?

 類は友を呼ぶ。という言葉があります。

 先のサッカーチームの例えだと、嫌になった選手は内部告発に走るか、「やってられない」と次々と心ある選手は辞めていき、実力のなくて他に行くチームのない選手と、金に困った選手は残るかもしれません。

 目先の収入ばかりしか見えず真の意味で医療を充実させることを理解しない首長・議員・経営陣のもとには、本当に地域の行く末を案じる医者は寄り付かず、同じく金のことしか考えていないヤブ医者の巣窟となることでしょう。

 そういう土地の住民に限って

 「こんな田舎に良い医者は来ない」

 なんて言うのです。

 その原因が奈辺にあるのか、一度でも腰を据えて考えてみてほしいものです。

「医療崩壊への思い」~ささえる医療ブログより

「ささえるクリニックとNPOささえる医療研究所」のブログからの全引用です。

いつも、引用していただいているので、こちらも同じようにやってみます。

最近、北海道のある地域の自治体病院で医師の辞職が決まり話題になっています。

 

正直、「またか」という思いですが、冷静に考えると「仕方ない」とも思っています。

マスコミは相変わらず住民の不安の声を拾い上げては道や国、あるいは辞めていく医師を批判し、何の解決にもならない報道を続けるだけです。

 

全国的にもそうかもしれませんが、北海道の地方では殆どの地域で人口が減って、高齢化が進んでいます。

考えてみますと、日本全国の人口が減っているのですから、理由もなしに地域の人口が増える訳もありません。

反対に札幌などの中心都市に人口が集中しているというのが現状だと思います。

 

一方で、北海道は人口当たりの病床数は本州よりより多い状態が明治時代から続いています。
意外に聞こえるかも知れませんが、北海道には病院が多く、昔の北海道の医療政策は「
1つの町に100床の国保病院を作る事」だったので、人口にあまり関係なく、北海道では田舎に行っても案外大きな自治体病院が沢山ありました。

「北海道は寒くて広いから」と言えば妙に納得するのですが、寒くて広い地域は北海道だけではありませんし、交通機関が整備されて都市部の病院に通う人は昔よりはるかに増えたと思います。

そこには大学から医師が定期的に派遣され、多額の税金が投入され何とか成り立っていきました。

しかし、地域経済が疲弊し、大学病院にも医師が確保できない状態となり、一気にあちこちの地域で病院が維持できなくなっていきました。

 

昔は人口も多くて、総合病院等の大きな病院も成り立っていたのですが、人口が減少しても同じ規模の病院を維持しようとします。

採算だけでいえば、総合病院であれば人口10万人に1つあれば良いのですが、例え人口が1/10になっても「高齢化したので必要」「命に関わるから」「近隣まで距離がある」等々最もらしい理由が沢山出てきます。

ところで、本当に「命に関わるから」昔からある病院が必要なのでしょうか?

 

医療崩壊が起こる時、殆どの方が「命に関わる」「何かあったら」「助かる命も助からない」等と言いますが、では、本当に医療崩壊したり、病院の規模縮小になった地域の死亡率が高くなり、平均寿命が短くなったのでしょうか?

少なくとも私はそんな話を聞いた事も無いし、経験した事もありません。

 

実際に平均寿命が長く、健康寿命も長く、癌の死亡率も低いのは長野県ですが、長野県に病院が日本一多く、医師の数も多いといった話は聞きません。

むしろ検診の受診率などが高く、住民意識の高さの方が大切だというのが現実です。

 

例え病院が無くなっても、住民が検診や健康づくりで頑張れば日本一長生きな地域は作れるし、生活できるのではないでしょうか?

今の日本は「不安」と言えば何でも被害者の様になりますが、病院は不安の解消の場ではないし、世界一長生きで、世界一の医療を受けている日本人はある意味「世界一安全が守られている」のであって「安心」は税金で守るのではなく、自分の問題ではないでしょうか?

主だった産業が無い町にとって、役場と病院と学校は大切な雇用の場で、それが無くなると若い世代の働き手が一気にいなくなってしまいます。

 

本当に「命に関わるから」大きな病院が必要なのでしょうか?

私はむしろ「地域の雇用を守りたいから病院を維持したい」というのであれば納得できます。ただしその場合、国の税金を使わないで地域住民が自分達で負担して維持すべきです。

少なくとも次の世代に借金をしてまでやる事ではないですし、民主主義国家なので人口の多い所に税金の配布を優先するのは当たり前です。

 

そして「雇用を作る」のは国の仕事でしょうか?「田舎は仕事も無いから住めない」と言いますが、起業して納税して雇用を作るのは国や行政の仕事ではなく、住民の仕事ではないでしょうか?国や行政がそれをサポートするのは分かりますが、いつから日本は社会主義国家になったのでしょうか?(世界一成功した社会主義国家だというご意見もありますが・・・)

要は 本当に必要な医療機関なら住民が負担してでも守るべきですし、「命に関わる」というのは言い訳で、時代背景も人口も変わった現状では、ただの既得権益の維持を次の世代に借金をして、しているだけなのではないでしょうか?だから他所の人が住まないし、若い人達が出て行くのだと思いませんか?

 

人口が減ったなら医療機関の規模は縮小して当然です。

維持したいなら人のせいにしないで、その地域の人達が地元の医療機関を使い、自分達で負担してでも守るべきです。国の税金を使って直接的な負担が無いから我儘を言っているだけの話です。

 

地元の病院を使わないで、普段は都市部の病院に行って「権利だから」といい、何か困ったことがあればコンビニ受診して「権利だから」というのであれば、そこに勤める医療従事者がいなくなって当然ですし、遣り甲斐や地域に対する愛着が湧く訳もありません。

 

少なくとも医療保険は「相互扶助」が原則で、自分さえ良ければいいという人達のものでは無い「社会保障制度」だと思います。

 

私がこれからの地域に必要なものに挙げているのは「覚悟」「愛着」「物語」です。

少しぐらい不便でも、自分達が出来る事をやるのが地域には必要で、国や道に文句ばかり言っていても仕方ないので、すぐに行動すべきではないでしょうか?

 

どうすればこの地域が必要とされるのか?他所の人達が住みたいと思うのか?地元出身の若い世代が残りたくなるのか? その答えは絶対に国や道が与えるものでは無いと思います。

そして考えない地域が消えた方が、次の世代の負担を考えると健全です。

市町村合併で故郷が消えてしまった私でもそう思える様になりました。

 

医療崩壊に関して言えば、公的機関、公設民営、民間と経験してきましたが、リスクを負って民間で起業して、「公」として運営するのが良いと思っています。

地元に納税して雇用を生み、対等な立場で意見を言えるし、公的医療機関でなくても連携も出来るし、システムも作れます。

公務員で診療所の所長だった時は、役場でいえば課長職でした。

どんなにいい仕事をしていたとしても、所詮課長ですから、社長(首長)の方針に合わなければ自分が辞めるのは当然の事です。それが公務員の限界だとも思えます。

 

真面目に働く医師が頑張り過ぎて、悪気が無くても住民が自分で考えなくなると医療崩壊する、というのも今まで何度も見て来ています。

所詮、医療や福祉は目的では無くて手段です。

そう考えれば目的が無い町に住む人はいなくなるし、楽しく無くなりますね。

 

自分達に何が出来るか?と考えてあちこち足を運ぶような住民が北海道に増えてくれたらいいな、と考える様になった今日この頃です。

 

 

NPO法人ささえる医療研究所 代表 村上智彦

とくにコメントはしません。
お読みになって皆さんでお考えください。

現場と医療経営の目的意識のミスマッチ

3年前の投稿から。

ツイッターでつらつらと日々の思いを… (文章のカッコ内は後で加えたものです)

結局(昨日の)千歳の悪天候で帰れなかった先生方は各々、釧路からJRまたは一泊して今日の航空便で帰ったよう。

しかし、札幌に帰れない…ということはイコールで来づらい、ということ。同じ僻地でも交通の便の良い僻地と、そうでない僻地がある。

とくに根室管内は、中標津空港ジェット化に先立って標津線が廃止された。道路状況はそんなに悪くないが、釧路を中心とした道東地域の都市圏のいびつな配置により、とくに根室中部、北部には距離的な問題が発生している。このため局地的な自然災害以外に今回のような千歳の悪天候にも弱い。

そう考えると、実情は非常~に脆いインフラの上に、地域医療のみならず地域のすべてが成り立っているのだという事実に直面させられる。怖いのであまり表面化したくないのが正直なところだが、それが現実。

医療の各専門分野がこれだけ細分化され、その一つ一つに人海戦術のように人がつぎこまれるようになり、もともと潜在していた高度医療を行う(都会の大病院や大学病院のような)医療機関の慢性的人手不足が、名義貸し騒動と臨床研修義務化を契機に一気に顕在化した。

大学病院から個人開業医にいたるまで、医療レベルを下げる、というのはどこでも受け入れがたい決断。地方議員や首長の意を汲んで成立している地方公立病院、診療所ならなおさら。

過去に戻ることはもうできない以上、今後の長期ビジョンに対する住民コンセンサスの確立は必須。道路や交通機関を充実させ、医療そのものは必要最小限の軽装備にするか、あえて自己完結型の医療を目指していくのか、そうなるならその具体策は…?などなど

首長が現場も考えず勝手に、できもしないことをさもできるように住民に約束したり、逆にやるべきことをやらなかったり、あまつさえそれで生じた赤字や住民の不満まで医療従事者の責に帰す。当然心理的圧迫も強くなり、もともと地域では余所者だった医師は居づらくなってしまう。

そもそも医師の能力にはある程度の偏りがあるし、そのマッチングだってしていなかったりする。一体自分は何のために来ているかだってわからなくなる。はたして自分はここに居る必要があるのか…

そんなことが最初からわかっている施設に誰が好き好んで行こうと思うだろうか?決して報酬や待遇なんかの問題じゃない。

「民度」の問題を持ち出す人もいるが、ここらへん事務職の責任は非常に大きいと考えている。

私自身は医師の報酬を下げることには実は反対ではない。ただ、現状を考慮すると僻地の医師招聘や医療体制・医療資源の確保に責任のある事務職の幹部クラスには、医師と同等かそれ以上の待遇があってしかるべきと思う。

そのかわり、医療体制の維持確保に関するビジョンの策定や、住民との合意形成、首長の方針とのすりあわせ、首長交代による激変の緩和などにはきちんと責任を持ってもらう。

この仕事、ちゃんと真面目にやったらとても大変。とくに住民の合意形成などという仕事は想像するに余りある。良心的な自治体であっても、院長とか現場のトップが片手間に講演とかやっているのがせいぜい。いかにそういう仕事が評価されていないかの証左。

地域の医療体制の適正規模での維持(必ずしも縮小のみとは限らない)と、それに対する住民合意の形成、という(事務だろうが医者だろうが)とってもしんどい仕事・努力に対して余りにも過小評価しすぎたことが、地域医療崩壊の一因をなしていたのかも…。

医療資源確保競争に敗れた地域にも住民は存在する。田舎であれ都会であれ、まずは住民・役所・首長・議員自身が「自分たちは敗れたのだ」と現実を認識すること。それなしに先へは進めないと考えています。

全床療養転換も,実際に急性期病床が実質療養病床的な使われ方しかされていない地域では一法ではあるかも.需要に応えるという意味では….

生き残れなかった地域の住民が一気に流れ込んできて,急性期を扱う後方病院でこうも次から次と長期の社会的入院を要求してくる様を見るのも何とも….町そのものの良識が疑われてますよ….

それでもオラが町に急性期病床がほしいなら,その需要があることを住民が身をもって示すべきだった.崩壊に至る前に….

ファミレスに行って食事もせずに飲み放題のドリンクバーを飲む人ばかりが利用したらそりゃ,店潰れるだろう…

そして周辺住民はファミレスはメシがマズイから隣町の専門店街まで出かけてくるんだと吹聴してまわる…その行為自体は問題ないけど,それでファミレスが潰れて「うちの町にはファミレスがない」とぶーたれるのは,かなりの問題でしょう.住民全体のインテリジェンスすら疑われかねない….

それを「民度が低くてどうしょうもない」ととるか,「改善の余地がある」ととるかは人それぞれ.私は後者から前者になりつつあるのを必死でこらえているが,当然後者でありたいと思っているし,後者の考え方をする人といっしょに働きたい.

(でも住民自身が改善の必要性を認識してくれなければ…)

ただのつぶやきです.具体的に何かを指しているわけではありません.
そう…ただのつぶやきです………

標題通り書き連ねたわけだが、一つ書いていないことがあった。

何度も書いていることではあるが、医療現場から医師が逃げて行く最大の原因は待遇ではない。現場と医療機関経営陣の目的意識のミスマッチだ。
ここをきっちりやっている自治体は強いが、難しいのも確か。
待遇に偏りすぎることを危惧するのは、こういった目的意識を共有できない、そしてそのことに問題意識を持たない医師を結果として呼んでしまうから。
一方で、地域の未来を真剣に考えることのできる医師を呼んだとしても、それに呼応することのできない残念な自治体も存在する。病院や診療所の存続そのものを目的としている自治体である。そういう自治体ほど、金で医師を釣ろうとする。

道内ではわりかしよく見る状況だが、この2つがコンボで存在する自治体住民は悲惨だ。

それに異を唱える住民のいない自治体はもっと悲惨だ。

また一方で、病院の存在そのものを目的としてしまっている自治体と、好待遇と自らの地位保全を目的に引っ掛かった医師とのコラボもある。ある意味目的意識を共有しているので医師は逃げて行かないかもしれないが、インターネットなどで内情を知ってしまったら真っ当な医師は絶対に寄り付かないだろう。

「地元の雇用確保」「地元経済の維持」を理由にそれらを正当化する論もある。経済をすべてに優先することの許されたバブルの時代なら正しい論かもしれない。だが、経済的・人的医療資源が広域行政レベルで、あるいは国家レベルで有限であるという事実が示されてしまった現代においては「暴論」と断じるしかない。

旧藤沢町のような素晴らしい見本があるのだから、真摯に学ぶべきであろう。

「ETV特集~わがまちに医師を~」とりあえず見てみました

NHK【ETV特集】わがまちに医師を~地域医療と霞ヶ関の半世紀~
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1007.html

やっと録画をみることができました。

大いに関連のある話題だったので。



たしかに自由開業制のもとでは、医師が田舎に居着くというのは難しいかも知れません。

田舎に開業、というのは、もともと土着民であったのでなければ大変にリスキーです。

もともと医師という存在自体が地域の中でマイノリティー、というのもありますが、

それにもまして医師の特殊性は「自分の存在そのものがまちのセーフティネットとなる」というところにあり、

そこを十分に理解して田舎に赴任しないと、あとで「逃げるに逃げられなくなり」後悔することとなります。

まして開業などしてしまったら、その後地元有力者とうまくいかなくなったり、何らかの事情で

その町に居づらくなってしまったときに逃げ場がなくなります。

都会ではそのようなことはないとまではいいませんが、田舎ほど露骨ではありません

はっきり言いましょう。


そんな場所に自ら好んでわざわざ借金までして開業するお人好しがどれだけいるでしょうか?



私は北海道の田舎が好きでこの仕事を選びましたが、開業して居着こうなどとは絶対に思いません。

公営、あるいは代えのきくグループ医療機関でなければ自分の居場所はないと考えています。

それが自ら、そして自分の家族に対するリスクマネージメントと考えています。


現在でも過疎地からは若年人口がどんどん流出しています。

田舎の社会は、これまで自分たちが作ってきたものを守ろうとするあまり、

新参者や若者にとって大変居づらい場所となっています。

そして社会の構成者は高齢者が中心となり、その高齢者が構成する社会を守るため、

更に若者が居づらくなると言う悪循環、そのうち学校・雇用が消えていき、更に過疎化に拍車がかかる。

こうやって社会が壊れていくと、

旧弊や因習を守ろうとすること、それが崩壊のトリガーにもなってしまいます。


自前で医師を養成できない限り、田舎に来る医者は例外なく余所者です。

かりに自前で養成できたとしても、それもまた「地元出身の若者」の一人であるということを忘れてはなりません。



また、医師のみならず医療資源は、自治体固有のものではなく、国・社会の大切な資源でもあります。

きちんと世代間・地域間で共有をして、少しでも効率的な活用を考えるべきです。

そう考えるとおらがわがまちに医師を」というキャッチフレーズ自体がそもそもおかしい

ということに気づくでしょう。



医師不足云々の前に、若者が流出しないでも生活していける町作りを、

「まちの長老たち」が知恵を絞って考えるべきです。

自分の地域だけが、自分の世代だけが、よければいいという考え方が、

現代社会の矛盾を作り上げてきた、そういう反省をできないから

(医療従事者を含む)若者に見捨てられたという現実をしかと受け止め、

そこから議論を出発する、それしか医療過疎の解決策はないと、最近強く思わされます。


少なくとも、地域社会が内包する根本的な問題を「自由開業制」の問題に矮小化してはならないと考えます。

羽幌の医療に関するニュース

内灘に医師赴任要請 姉妹都市の北海道・羽幌町
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120417104.htm

(ここから引用」)

 内灘町の姉妹都市・北海道羽幌町(はぼろちょう)の舟橋泰博町長は16日、内灘町役 場で八十出泰成町長に、羽幌町の医師不足解消のため、金沢医科大の医師や学生の赴任に向けた協力を要請した。舟橋町長は、内灘町と同大で6月下旬から7月上旬に、医師赴任につなげるPR事業の開催を打診、八十出町長は協力を約束した。

 舟橋町長は16日、金沢医科大も訪問、PR事業開催については了解を得たという。

 羽幌町は北海道北部の日本海に面し、人口約8千人。病院は道立と個人の2カ所しかな く、道立羽幌病院の常勤医師は現在4人と深刻な医師不足に陥っている。離島も二つある ことから、医師の確保が急務として金沢医科大のある内灘町に協力を要請した。

 内灘町幹部や夷藤満議長ら町議が出席した懇談で、舟橋町長がPR事業の概要を説明し た。

 事業は6月29日から7月1日まで町文化会館、7月2日から6日まで金沢医科大で開かれる。映像や写真パネルで羽幌町を紹介するほか、特産品や観光パンフレットを配布す る。

 金沢医科大での開催時には、学生や病院関係者に羽幌町を紹介する機会を設ける。羽幌 側は、病院の現状や資金面での補助制度などを説明し、同町への赴任につなげたい考えで ある。

(引用終わり)

羽幌町は私も時期を違えこそすれ1年ずつ2回,計2年間いたことがある土地です.

かつて私がいた10年前は医師数が内科4名,外科3名(うち1名麻酔科標榜医),
産婦人科2名,整形外科1名,小児科1名の常勤医という施設でした.

2回目の派遣である5年前には,すでに内科4名,外科2名に減っていました.

現在は内科3名,外科1名で,対象人口羽幌町8000人,苫前町3500人,初山別村1400人の
計約13,000人を擁する地域の急性期病棟を4人で支えているわけですからその苦労は大変なものです.
※ちなみに我が島の急性期病棟は対象人口5500人を擁する地区を3人で診ています.

そしてこの地域にあるのは「道立病院」です.町立でも広域連合立でも一部事務組合立でもありません.

今回のニュースは,町長さんが実際に動いたということで,今後どうなるのか
私にとってもここは思い入れの強い地域でありますので,経過を見守っていきたいと
思っております.

地域医療がうまく回らないのは医師偏在のため?(旭川医大 住友和弘先生のFacebookノートより)

旭川医科大学 循環・呼吸医療再生フロンティア講座の住友和弘先生のFacebookのノートに記載されていた内容です.
余りに的を射すぎていて,私が追加することなど,なにもありません.

是非,全国の自治体首長,市町村議会議員が一読し,かみしめるべき内容が書かれています.

住友先生ご本人の許可をいただいて転載させていただきます(傍線は原文そのまま).

北海道には約12,000人の医師がいます。そのうちの約50%が札幌に集中し、次いで旭川に多く分布しています。その他の地域を4000人に満たない医師でカバーしていることになります。さらに付け加えるとここで言う医師数は医師免許を有する数である事、年齢、産休、家庭に入っている方、診療科を特定していません。地域でプライマリーを担当する医師としては、内科が重要になります。実は、この内科医が道内で1番不足しています。以上の事実は、医師の偏在が地域医療問題の根幹と思わせます。

しかし、使命を感じて地域に行く医師が地域を去る現実があることを見逃してはいけません。その数を把握できているわけではありません。彼らがその後何かしらのアクションを起こすことはなく静かに何もなかったごとく過ぎています。なぜ、医師が地域を去るのでしょうか?

北海道の地方自治体の中には「医師が居てくれれば良い」と言うところが少なくないように感じます。医師の専門性、モチベーションは問わないのです。自治体側からは、”贅沢は言えないから”と言う反論が有るかも知れませんが、本当にそうでしょうか?私の経験上、彼らが期待することは病院赤字を削減する事であって、住民の健康増進をお願いしますと言いながら”新規の健康づくり事業提案”や”新規の事業投資”には非協力的だったりします。つまり、その言葉は、入院・外来(患者)を増やして病院赤字を削減して下さいと言う裏返しなのです。しかも、設備投資をせずに・・・。

医師の使命感を逆手に低待遇で重労働を強いることも無いわけではありません。職場環境が荒廃(人的、職員の気持ち、設備的)している場合があり、標準的な診療、治療に支障が出る場合もあります。また、コンビニ受診や地元の医療機関を信用せず低く扱う住民の意識にも少なからず問題があります。私が知る限りそういう地域は医師の離職とその後の招聘で苦労をしています。その教訓が次に活かされると良いのですが・・・。

このような環境は、長年、そこの地域に何らかの医療問題があることを知りながら放置し続けた結果です。このような何重もの負の財産を改善し普通に医療機関や地域医療が機能するまでに立て直すには年単位の努力と複数の心ある人の協力が必要です(トップの自分に覚悟とビジョンがしっかり有れば、協力してくれるスタッフが表れ、さらに支持してくれる住民もいれば再生は可能です)。医療保健福祉に関する確固たるビジョンのない自治体では、院長に丸投げなことが往々にして起こっており院長のビジョンと手腕が重要です。ですが、大切なことは、自治体病院であること、最終的には自治体の責任においてどのような地域づくりを行い、その政策の中で医療をどのように位置づけるのか!

最近、2つの医療機関の医師の退職の話を聞きました。町長から病院赤字解消のため入院を増やすようにプレッシャーがかかり、自分にはできないと判断されて退職の決断をされたケース。もうひと方は、効率的な病院運営を提案されましたが町長と意見が合わず退職を決断されたケース。

首長、議会の思い付き発言の背景に離職後の次の一手が有っての事でしょうか?自治体経営を考えてやむを得ない事情が有るのかも知れませんが、院長へのプレッシャーの前に町内で病院赤字問題、地域医療問題を十分に議論されたのでしょうか?院長達の長年の活躍がたった1年の躓きで消えとしたら私には寂しすぎると感じます。冷たい地域と感じます。なぜともに課題を克服する努力をしなかったのでしょうか?院長が経営責任をとるべき問題だったのでしょうか?今の北海道に多くの院長の首はありませんよ。丸投げ政策の結果、「医師の使い捨てはもう辞めて下さい。」と言いたい。

首長や議会は表面上の協力を口にしますが、実態を直視しメスを入れ、大きく舵を切ろうとはしません。彼らには出来ないのです。町にとって最大の問題である医療問題に対し、医療のしくみ、保健福祉との連携、病院赤字の本質を良く知りません。決まって年度末に病院赤字がいくらになったかを話題にしてどうして赤字なのか?どうすればいいのか?市民の健康を守る事とのバランスをどのようにとるのか?さらに言うと医療機関のサイズ、人的資源、医療機器など施設面は適切か?小さな自治体でカバーできる限界を知っているのか?広域での医療の成長戦略を描けているのか?何よりも住民がどんな生活(子供から老人まで)を望み、そのために必要な医療保健福祉であるのか?今の在り方は地に足の着いた運営なのか。行政力と政治が問題なのです。医療は住民が居て成り立つものであって、町の隆盛とパラレルである事に気付いているでしょうか?つまり、町に元気がないと、医療は再生しません

議会の不勉強は許しがたい物があります。それまでの良好な行政との関係をも打ち砕きかねない。議員としての資質を身に着けてから発言して欲しいと思います。後先を考えない思い付き発言は慎むべし。

確かに医師の偏在はあるものの、赴任した医師の医療問題以外の負担があまりに大きいことも地域医療がうまく回らない理由だと私は感じています。医師が地方に行き学びたくなるような医療保健福祉の特徴を作るべきと考えます。地域医療問題の半分は地域の行政や議会に問題があると思います。

医師は、プロフェッショナリズムに裏打ちされ望まれるところに働き甲斐を求めて行くと思う。しかし、その先が劣悪な環境で、彼らの成長の芽が枯れないように医師にとっての良い行政、悪い行政の指針が必要かもしれない。

一つ確実なのは若い医師がいきなり小さな自治体病院に単独乗り込むことはありません。中堅以上になってからです。ドンキホーテは私ぐらいでしょう。

誤解がないように書き足しますが、理不尽な自治体が多いわけではありません。多くの自治体は住民の生命・健康を守るためどうにかしようと頑張っているのだろうと思います。そして、多くの地域の医師もどうにかしなければと懸命にがんばっているのだと思います。どちらかに大きく依存しない、双方が疲れない、燃え尽きない仕組みが求められていると思います。
良い関係を継続するために医師、行政、議会、住民、医療関係者お互いに尊重し合う関係の構築が不可欠です。
それが医療の継続性に重要と思います。
誰か(医師とその家族)の犠牲の上に成り立つ地域医療では続きません

苦い過去の経験から感じている事です。

地域での経験は私を大きく成長させてくれました。感謝しています。今でも時々お邪魔するのを楽しみに待っていてくれる地域の皆さんが居る事を幸せに感じています。
志のある職員の発掘に成功し、私の地方での後半は病院の雰囲気も変わり楽しく過ごしていました。
あきらめている職員に希望を見出すのは、トップの仕事です。部下の良いところを見つけ伸ばす。
良くない組織は、職員のベクトルがランダムです。これを一定方向に向かせるには、組織の目標を明確にすること。熱く誰のための医療か必要性を語り、肩を押すことで同じ方向を向いてくれるようになります。褒めることを忘れない。
毎月の森林ウォーキングと健康講話は、患者さんのみならず住民との良好な関係を気付くのに一役かっていました。住民とのチャンネルを持つことも重要です。自分への良き理解者となってくれます。彼らは他の医療機関を知っていますから、足りないところを指摘し、私たちを見ています。アンケートを繰り返し行うと改善のポイントを指摘してくれます。

医師と住民の関係は良好であっても途中に横やりを入れる権力者がいると地域医療問題は難しくなってしまいます。

うまく回り始めた地域医療がなぜ壊れたのか?当事者たちは口をつぐみました。
それで良いのでしょうか?

今ある地域医療の課題を分析し、ダメなものは改め明日の楽しい地域医療を構築したいと思っています。
住民と医師と職員の関係が良好で有れば、良い医療が展開されるのは間違いありません。
この経験を多くの人に体験して欲しいと思います。
そうすれば、やりがいに地域格差が無いことに気付くはずです。

私は、いろいろな仲間に恵まれていたと思います。このことも重要です。孤立感を味わうと挫折しそうになりますが、そんな自分を支えてくれる人々のつながりが次への力になりました。多くの方々に心から感謝しています。

学生諸君は、自分が提供できる知識と技術をしっかり身に付けてほしい。実力がないのに大きなことを言ってみても誰も支持してくれません。「言うがごとく、行えること」が大切です。
しっかりと、あなたの未来の医師像を思い描いてみて下さい。
未来の自分のために、今すべきことをして下さい。

転載をご快諾いただいた住友先生,本当にありがとうございました.

拙ブログにいただいた感想について

これまでのエントリーをお読みいただいて,
twitter上で,RoseShu先生から,とても貴重な示唆に富むメッセージをいただきました.

非常に大事な視点と思いますので,ご本人の許可を得て,転載させていただきます.

ブログ拝読しました。過疎に喘ぐ地域の医療を守る、或いは展望する事は非常に大切な事だと思います。自分も同じ立場ですので。しかしこれは現場の仕事ではなく、都市政策に含まれる仕事。

将来の人口推移を見越し、病院機能分化と集約化、継続可能な福祉政策などは行政の社会的責務です。大概これを放置ゆえに捻れが生まれ現場から意見を発する事になります。当市でもそうです。本日議員さんと懇談しましたが全く医療福祉は分かっていません。

こんな事だから長期的ビジョンなど期待出来ず、将来住民は路頭に迷うことになるでしょう。「福祉こそ市民の権利」とソール市の新市長、まさに地域福祉の将来展望を自治体と共に国が真剣に示すべきと考えます。

えてして,医学部を卒業して,医者という立場,医療という世界にいると,
「命を守る仕事の尊さ」というところ(とても大事ですが)で思考停止してしまい,
医療以外のものに目が向かなくなります.

地域の病院の適正規模,適正な機能という考え方は非常に大切です.
そして,「これ以上はいらない」「ここでストップ」と号令をかけるのも,
地方自治体首長の大切な仕事です.
ただ闇雲に拡大路線を突っ走ればいいというものではありません.

とくに高次医療については隣接自治体と共同してやっていかなければ
ならないことも多々出てきます.今後,地方自治体財政が好転するという
根拠が何もない以上,医療だけじゃなくあらゆる分野での広域連携が
必要になってきます.

地域の医療体制のデザインは,まさにそういった今後の都市政策や都市計画に
含まれるものです.
そう考えると,人口のこれからどんどん減っていく町で,
オラが町の医療だけが拡大路線を突っ走る理由がないわけです.

たしかに高齢者の割合が増えますが,そういう高齢者の全てが高度の医療を
必要とするでしょうか?そうなれば,必要になるのは医療の拡充ではなく,
福祉の受け皿です.これがないと「在宅へシフト」とはいいますが,余りに在宅に傾き
すぎれば,どんどん減っていく労働可能人口の手が自宅介護にとられ,
まちの産業も更に衰退に拍車がかかります.

今後は要介護者の人間性,QOLを損なわない程度に,介護の集約化だって
必要になってきます.
若い人たちには介護に割く精神的,肉体的,時間的負担を極力減らし,
その分しっかり働いてもらわなければ,冗談じゃなく,地域が,日本が潰れます.

その時の私の返事も併せて引用しておきます.

ご指摘の通り地域医療政策というのは「都市計画」の中にしか存在できないと思われます。その中で、どこまでを自治体で支えられるのか、どこから先を近隣自治体に依存するのか、それが実際に可能か、という点の検討が大甘なのです。

更に、それを支援する側の問題もあります。事前検討の甘い構想を支援することは、ある意味これは道税の無駄遣いでもあると思っています。

ただ、これは当地に限った問題ではないのですが、「医師配置計画」は決して「都市計画」の上位に立つものではありません。ところが医療界、各大学医局のみならず、いわゆる「官製医局」と称される我々の部署のようなところでも、そこを勘違いした言動が多々見られるのです。

「医師配置に関する制約」は都市計画の策定にかかわる大切な制限要素ではありますが、決して上位に立つものではありません。地域は、医者が存在するためにあるわけではありません。そこに地域が存在するから医療が必要なのです。ここ、医者を送る方も、送られる医者も意識すべきです。

そう考えると、医師派遣のパラダイムを早急に変えていく必要があるのだろうと思います。限られた社会資源の分配、という大変困難な作業を行っているわけですから.

これに対し,更にRoseShu先生より,私(だけじゃなく多くの北海道の自治医大卒業生)の思いを
まるで代表するかのようなこんな一言をいただきました.

非常に同意します。長期的展望をもった都市政策は病院機能分化や集約にも繋がり、それがあって初めて医師配置が可能となるはず。「ものがあるからそこに行け」では見殺しといっしょ。

私の冗長なコメントをものの見事に吹き飛ばしてくれました.
これは一般の大学医局でも同じ状況があります.
医師配置が先にありき,という考え方でその場しのぎの派遣をされ,
行ったはいいが必要とされているのかわからないとか,明らかに戦力過剰で
わざわざ他地域から手術症例や検査症例,外来患者を「奪って」
きて隣接地域の
医療体制を破滅に追い込む片棒をかつがされるとか,そういう弊害はいろいろあります.

「必要のないものは手放す」

たったこれだけができないために,
地域の現場にどれほどの不条理を生じているか…

そういうことを,医者を送る側も,送り込まれる側も,それを仕切る側も,
きちんと認識してことに当たる必要があると強く感じます.

まあ,医療に限ったことではありませんが.

末筆となりましたが,非常に示唆に富むご指摘をいただいたRoseShu先生.
本当にありがとうございました.
また,何かとご教示の程,よろしくお願い申し上げます.

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